沢入城(群馬県みどり市) [古城めぐり(群馬)]
←祠のある段丘
沢入(そうり)城は、黒川谷の郷士が築いた黒川八城の一つで、松島式部少輔古柏の城と伝えられる。松島氏は、深沢城主阿久沢氏と並ぶ黒川衆の旗頭的存在で、五覧田を本拠としていたが、沢入城の松島氏はその一族であったと思われる。それ以外の詳細は不明であるが、黒川谷に桐生氏が進出すると桐生氏に服属し、桐生氏滅亡後は由良氏に属し、由良氏が1583年に小田原北条氏から離反すると、北条氏に服属したのだろう。
尚一説には、黒川衆は由良氏に属さず小田原北条氏に通じていたため、1579年、金山城主由良国繁は黒川谷に侵攻し、深沢城主阿久沢能登守・沢入城松島式部小輔古柏ら黒川衆と合戦となったと言う(史跡「深沢の角地蔵」に伝わる伝承)。しかしこの時期は上杉氏の勢力が後退し、由良氏も北条氏に属していたため、辻褄が合わない。この合戦が事実であるならば、それは由良国繁が北条氏から離反した1583年のことであろう。
沢入城は、八幡祠・秋葉祠のある丘にあるとされ、国道122号線の西の段丘に当たる。民家と畑・空き地になっており、何段かの平場があるが耕作に伴うものと思われ、遺構は全く不明である。民家の手前に祠が祀られているので、場所的には間違いないと思われる。城と言うより、段丘中腹を利用した居館だったのであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.579420/139.389317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
沢入(そうり)城は、黒川谷の郷士が築いた黒川八城の一つで、松島式部少輔古柏の城と伝えられる。松島氏は、深沢城主阿久沢氏と並ぶ黒川衆の旗頭的存在で、五覧田を本拠としていたが、沢入城の松島氏はその一族であったと思われる。それ以外の詳細は不明であるが、黒川谷に桐生氏が進出すると桐生氏に服属し、桐生氏滅亡後は由良氏に属し、由良氏が1583年に小田原北条氏から離反すると、北条氏に服属したのだろう。
尚一説には、黒川衆は由良氏に属さず小田原北条氏に通じていたため、1579年、金山城主由良国繁は黒川谷に侵攻し、深沢城主阿久沢能登守・沢入城松島式部小輔古柏ら黒川衆と合戦となったと言う(史跡「深沢の角地蔵」に伝わる伝承)。しかしこの時期は上杉氏の勢力が後退し、由良氏も北条氏に属していたため、辻褄が合わない。この合戦が事実であるならば、それは由良国繁が北条氏から離反した1583年のことであろう。
沢入城は、八幡祠・秋葉祠のある丘にあるとされ、国道122号線の西の段丘に当たる。民家と畑・空き地になっており、何段かの平場があるが耕作に伴うものと思われ、遺構は全く不明である。民家の手前に祠が祀られているので、場所的には間違いないと思われる。城と言うより、段丘中腹を利用した居館だったのであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.579420/139.389317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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