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石動山城(石川県中能登町) [古城めぐり(石川)]

IMG_6203.JPG←主郭外周の横堀と帯曲輪
 石動山城は、山岳信仰の霊山として栄えた石動山院内に築かれた山城である。1576年、能登制圧のため七尾城攻略を進める上杉謙信が、七尾城の背後を押さえる為に築き、重臣の直江大和守景綱を守将として置いたと伝えられる。翌77年、謙信は石動山大宮坊に本陣を置いて七尾城を攻撃したが、有名な9月十三夜の詩「霜は軍営に満ちて秋気清し・・・」はこの城で詠じたものと言われる。1582年6月、織田信長滅亡後に寺領奪還を目指す石動山宗徒と信長の部将前田利家との間で戦闘が行われ、荒山城攻略の翌日、前田勢は石動山院に攻め入り、一山に火を放った。栄華を誇った石動山寺坊約300坊の堂塔伽藍はことごとく焼き尽くされ、石動山城もその役目を終えたと考えられる。

 石動山城は、石動山の奥の院「大御前」の峰から南東へ鞍部を一つ挟んだ、標高520mの峰に築かれている。国の史跡に指定されている石動山の中にあるので、遊歩道が整備されていて訪城は容易である。山頂に台形状の主郭を置き、周囲に腰曲輪を廻らしている。主郭の北東と北西の2辺には低土塁が築かれ、また主郭の東から北東辺にかけては切岸下に横堀が穿たれて、その外周に帯曲輪が置かれている。この横堀は、北西端までそのまま腰曲輪を貫通して堀切っており、外側の腰曲輪北端は物見台となっている。また、南東・北東・西の三方に伸びた尾根上に段曲輪を築き、北東尾根では先端に竪堀・堀切を穿っている。城としては簡素な作りの小城砦であるが、石動山院の詰城的な位置付けから考えて、機能的にはこれで十分であったのだろう。
北東尾根先端の堀切→IMG_6180.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.964518/136.974471/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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