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岩鼻陣屋(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_8666.JPG←北辺の土塁と空堀
 岩鼻陣屋は、江戸後期に徳川幕府が築いた陣屋である。戦国期の永禄年間(1558~70年)には岩鼻砦があった所と言う。1793年、幕府はこの地に岩鼻陣屋を造営し、初代代官として吉川栄左衛門貞寛と近藤和四郎が任命された。貞寛は、この陣屋に居住して、1810年に病没するまで代官職にあり、善政を行ったという。岩鼻代官には吉川氏を始め良吏が多かったとされる。当初は規模の小さな陣屋であったが、その後2度にわたって拡張され、農兵を募集して幕府から派遣された教官が洋式調練を行った。幕末の1865年、木村甲斐守が関東郡代として着任し、上野国の幕府直轄地(天領)・旗本領・寺社領・大名の預り所と武蔵国六郡の50万石を管理した。また世直し一揆の鎮圧にあっては、江戸北辺の守りの中心となった。1868年、明治維新が成ると新政府は6月に岩鼻県を設置し、大音龍太郎を軍監兼当分知県事に任じ、陣屋跡を岩鼻県庁とした。

 岩鼻陣屋は、烏川北岸の段丘上に築かれている。中山道と烏川渡河点を押さえる交通の要衝であったらしい。ややひしゃげた方形に近い形状の陣屋で、南の大手には石垣・土塁で構築された長い枡形があったらしい。枡形は残っていないが、陣屋は東半分の遺構がよく残っている。日本化薬研修センターの南側には空堀跡が残り、陣屋敷地の東辺には切岸跡が明瞭である。また、特によく残っているのは陣屋北側で、東半分だけ土塁と空堀が明瞭である。その他は日本化薬の社宅団地が建設されており、湮滅している。周囲を歩くと、規模の大きな陣屋であったことがよく分かる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.295291/139.074104/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:陣屋
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