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八幡平陣城(群馬県安中市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9142.JPG←八幡平の首塚
 八幡平陣城は、永禄年間(1558~70年)に西上州を攻撃した際の、武田信玄の陣城と推測されている。しかしこれは群馬県の城郭研究家であった山崎一氏の推論で、確定できる根拠はまだないらしい。信玄は1561年にこの陣城を築いて安中城松井田城を分断した。当時、松井田城主安中忠政、安中城主安中忠成の父子は、箕輪城主長野業盛の配下であった。信玄はこの陣城を拠点として安中氏を攻撃したと言う。

 八幡平陣城は、碓氷川北岸の比高40m程の台地上に築かれている。しかし城跡は畑や宅地、集合住宅に変貌しており、遺構は湮滅している。既に戦後の航空写真でも城跡の形跡は見られない。この付近はなだらかな丘陵地帯の頂部に当たるが、あまり城を築くに好適な要害地形とは思えない。作戦上の陣城だから、大軍団を駐屯させる都合を重視したものであろうか。
 尚、城域の東部に首塚があり、昭和27年に行われた調査の結果、戦国時代に近くの城が落ちた際の犠牲者をまとめて埋葬したものを、江戸時代に村民によって偶然発見されてここに改装されたものと考えられている。また城の東側には簗瀬二子塚古墳という大型の前方後円墳があり、公園として整備されているので、ほとんど何も残っていない八幡平陣城よりも見応えがある。信玄はなぜ古墳を城砦化しなかったのか、近畿・北陸の古墳転用の城の例を見ると少々疑問に思う。信玄の信仰心によるものであろうか。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.309774/138.856995/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

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