SSブログ

本折城(石川県小松市) [古城めぐり(石川)]

IMG_9784.JPG←城域とされる本光寺
 本折城は、加賀守護富樫氏の家臣本折氏の居城である。本折氏の事績はあまり明瞭ではないが、1441年の管領「細川左京大夫持之判書」(摂津家文書)には本折但馬入道父子、1445年の管領「細川右京大夫勝元判書」に本折氏の名、『官知論』の高尾城落城の条に降伏後に斬死した本折越前守、1552年に富樫氏の被官として本折治部少輔など、断片的に記録が残されている。本折城の歴史も断片的で、1531年の朝倉勢による加賀攻撃の際、朝倉宗滴(教景)が本折に陣したと伝えられ、1564年には朝倉義景によって小松城と共に攻略された。1577年には滝川左近将監らの織田勢によって、小松・本折・安宅などの諸城が焼き打ちされ、1580年にも柴田勝家率いる織田勢によって本折城に火が放たれたと伝えられる。

 本折城は、小松城の南方1.7km程の位置にある。遺構はなく、城の位置も定かではないが、本折町を中心とする本光寺を含む一帯にあったと考えられているらしい。完全に市街化しているので、城跡らしさは微塵も見られない。本光寺の解説板にも城の記載はない。
 尚、本光寺の南にやや離れたところの駐車場脇に、一向一揆衆の湯浅九郎兵衛と言う土豪の墓がある。1506年に一向宗徒が蜂起して朝倉貞景を攻撃した際、湯浅九郎兵衛は本願寺に呼応して一方の将となって奮戦したと言う。本折城と関係があるかどうかは不明。
湯浅九郎兵衛の墓→IMG_9794.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【本光寺】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.398608/136.449380/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


北陸の戦国時代と一揆

北陸の戦国時代と一揆

  • 作者: 竹間 芳明
  • 出版社/メーカー: 高志書院
  • 発売日: 2012/06
  • メディア: 単行本


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント