平時忠館(石川県珠洲市) [古城めぐり(石川)]
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平時忠館は、この地に流された平時忠の配流先の居館である。時忠は代々朝廷に仕えた公家で、平家一門随一の実力者で、知略家として知られた。その姉時子は平清盛の妻となり、妹滋子は後白河天皇の女御となって高倉天皇を生んだことから権勢を振るい、権大納言に任じられ、平大納言と称せられた。有名な「平家にあらずんば人にあらず」は時忠の言とされる。壇ノ浦の合戦で捕らえられ、能登に流罪となった。
平時忠館は、国道249号線南側の則貞という谷地にあったとされる。付近には斜面にも平場が見られ、民家の建つ敷地もあるが、どこに居館があったのかは明確にはできない。付近には、時忠とその一族のものと伝えられる五輪塔群があり、県の史跡に指定されている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.488225/137.195249/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
平時忠館は、この地に流された平時忠の配流先の居館である。時忠は代々朝廷に仕えた公家で、平家一門随一の実力者で、知略家として知られた。その姉時子は平清盛の妻となり、妹滋子は後白河天皇の女御となって高倉天皇を生んだことから権勢を振るい、権大納言に任じられ、平大納言と称せられた。有名な「平家にあらずんば人にあらず」は時忠の言とされる。壇ノ浦の合戦で捕らえられ、能登に流罪となった。
平時忠館は、国道249号線南側の則貞という谷地にあったとされる。付近には斜面にも平場が見られ、民家の建つ敷地もあるが、どこに居館があったのかは明確にはできない。付近には、時忠とその一族のものと伝えられる五輪塔群があり、県の史跡に指定されている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.488225/137.195249/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
「平家にあらずんば人にあらず」の一言で歴史に名を残した平時忠終焉の地ですね。あの一言は800年以上経った今でも有名な台詞です。
能登配流ではかなり奥地にいたのですね。
時忠はもう少し長生きすれば赦免になって都に帰れたかもしれなかったのに無念だったでしょうね。
ほとんど知られていないですが時忠の次男は頼朝の側近として活躍しています。京都ののいざこざで関東に配流となり、頼朝挙兵後に早い時期から従ったそうです。
by 史学会帰り新参 (2020-01-13 10:20)
>史学会帰り新参さん
いつも訪問いただきありがとうございます。
時忠の次男が頼朝に仕えたことは、知りませんでした。平家一門の実力者だった時忠が、死罪を免れて流罪となったのは、そうした背景もあったのでしょうか?なかなか興味深いですね。
by アテンザ23Z (2020-01-13 22:11)