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御壇塚(埼玉県加須市) [その他の史跡巡り]

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 御壇塚は、犬懸上杉氏庶流の上杉中務少輔教房の自刃の地である。1455年、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺したことで発生した享徳の乱は、またたく間に関東全域を覆う大乱となった。兄の跡を継いで関東管領となった上杉房顕は、室町幕府の支援と上杉一族の総力を結集して成氏と戦ったが、成氏は古河に本拠を移して古河公方となり、利根川を挟んで上杉勢の大軍と対峙し、一歩も譲らなかった。一方、房顕は武州五十子に本営を置き、ここに越後守護上杉房定や扇谷上杉持朝、京都から加勢に来た上杉中務少輔教房らの軍勢を集結させた。1459年10月15日、上州羽継原で両軍は激戦を交え、上杉勢は足利勢を敗走させた。上杉勢は勝に乗じて足利成氏の本拠古河を衝くべく、邑楽郡海老瀬に進出し、同年12月、太田荘に押し寄せて足利勢と再び交戦した。しかし激戦の末に上杉勢は五十子に敗走し、上杉教房は自刃した。それが御壇塚である。(「1459年…」以降の記述は、概ね現地の石碑の刻文に依った。この内容は、羽継原古戦場の石碑やWikipediaの記載とは前後関係などが相違している。)

 御壇塚は、東武日光線 柳生駅にほど近い地方道の北側にある。標柱や誘導標識は全く無いので、それと言われなければ誰もわからないであろう。砂利敷の空き地の北側に、生け垣と多くの石碑が立ち並び、その中央に御壇塚の由来を刻んだ石碑が立っている。歴史の貴重な記録であり、もっと多くの人の目に止まるようにして欲しいものである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.204581/139.662538/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


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タグ:古戦場
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