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羽継原古戦場(群馬県館林市) [その他の史跡巡り]

IMG_1692.JPG←戦死者の供養塔と石碑
 羽継原の戦いは、享徳の乱における古河公方足利成氏・関東管領上杉房顕両軍の激戦の地である。1455年、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺したことで発生した享徳の乱は、またたく間に関東全域を覆う大乱となった。兄の跡を継いで関東管領となった上杉房顕は、室町幕府の支援と上杉一族の総力を結集して成氏と戦ったが、成氏は古河に本拠を移して古河公方となり、利根川を挟んで上杉勢の大軍と対峙し、一歩も譲らなかった。一方、房顕は武州五十子に本営を置き、ここに越後守護上杉房定や扇谷上杉持朝、京都から加勢に来た上杉中務少輔教房らの軍勢を集結させた。1459年10月14日、上杉軍は武州太田荘に進出して成氏軍と戦い、次いで翌15日早朝には海老瀬口(現在の板倉町海老瀬地区)で、更に同日夕方には羽継原に陣を移して死闘を繰り広げたと言う。終始優勢であった成氏方だけでも死傷者2千余人を出したと伝えられる激戦であった。

 羽継原の戦いにまつわる石碑と戦死者の供養塔が宝秀寺の山門前に建っている。戦後550年を記念して建てられたものらしい。尚、宝秀寺にはなんと、楠木正成の紋で有名な菊水紋が刻まれていた!境内の由緒書を読んだら、楠木神社の別当寺だそうである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.229337/139.571364/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


もうひとつの応仁の乱 享徳の乱・長享の乱: 関東の戦国動乱を読む

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  • 作者: 水野 大樹
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2018/03/27
  • メディア: 新書


タグ:古戦場
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