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羽生陣屋(埼玉県羽生市) [古城めぐり(埼玉)]

IMG_1738.JPG←陣屋跡とされる高山稲荷
 羽生陣屋は、江戸時代最末期に築造された陣屋である。1867年7月、徳川幕府は羽生領18ヶ村を天領(幕府の直轄領)とし、岩鼻代官木村飛騨守勝教の支配下とした。そして岩鼻代官所を羽生に移転するため11月に陣屋の築造を開始し、翌年2月に水堀で囲まれた11棟の建物が完成したと言う。羽生陣屋は利根川の渡河点である川俣関所に近い交通の要地であった。川俣には、日光脇往還と言う街道の重要な宿駅川俣宿があり、関東16渡津の一つ川俣渡船場もあり、渡船者の厳重な取締りが行われる江戸防衛の拠点であった、そのため羽生陣屋には、鈴木蠖之進を取締として歩兵350人が配置された。しかし陣屋完成前の1月に鳥羽伏見の戦いで幕軍は敗れ、兵力を立て直して衝鋒隊を組織した古屋佐久左衛門は、3月1日に江戸を出て、7日に羽生陣屋に入った。翌8日、850余名を率いて梁田(足利市)に泊まったが、9日に官軍の奇襲攻撃を受けて壊滅した(梁田戦争)。勝に乗じた官軍は川俣関所から羽生陣屋に迫り、陣屋を焼き払った。こうして完成からわずか十数日で陣屋は焼き払われた。

 羽生陣屋は、現在は市街化により遺構は完全に湮滅している。具体的な場所も現況では明確ではないが、羽生城址の一角に当たる高山稲荷神社(城山稲荷)付近にあったらしい。今から見れば、羽生陣屋の急造は徳川幕府の最後のあがきであったように思える。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.175262/139.544220/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


富原文庫蔵 陸軍省城絵図

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  • 作者: 富原 道晴
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2017/05/08
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タグ:陣屋
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