SSブログ

仙石城(群馬県大泉町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1782.JPG←大堀切の跡
 仙石城は、岡山城とも言い、赤岩六郎左衛門尉厚親と言う武士が築いた城と伝えられる。築城の時期は、元弘・建武の頃(1331~36年)と伝えられていたが、近年の研究では1415年頃とされているらしい。その後、厚親の子孫は奈良原氏を称したと言う。戦国末期には、小泉城主富岡氏の家臣岡山播磨守が仙石城を守ったと言う。

 仙石城は、利根川北岸の比高10mに満たない低台地に築かれている。現在、いずみ総合公園の西側にある南北に長い台地と、その北側に広がる広い住宅地が城域である。総合公園となっている場所には、かつては東武鉄道仙石河岸線の貨物駅、仙石河岸駅があり、南北に長い台地の先端を線路が貫通していたので、破壊を受けている。また戦後には線路の西側も採石場となって削られたらしい。昭和20年代前半の航空写真を見ると、北から南に向かって鷲の爪のように台地上の曲輪が伸びていたことがわかる。この航空写真を見ると、長く伸びた爪の部分は、3つの曲輪に分かれていたようで、南東端に笹曲輪、その西に主郭、その北に堀切を挟んでニノ郭、更に大堀切を挟んで北に広がる外郭で構成されていた様に見える。現在は笹曲輪全部と主郭の南東半分は削られて消滅し、主郭の残り部分と二ノ郭が残っている。主郭の主要部は民家が建っているので確認できず、二ノ郭は夏場だと雑草が伸び放題で台地があること以外の確認は困難である。それでも主郭と二ノ郭の間の堀切跡は、中央部は民家が建っているものの両側は窪地状になってわずかに見られる。最も明確なのは、二ノ郭と外郭を分断する大堀切で、深さはないが幅が広く、往時の堀の様子を忍ばせる。外郭は前述の通り全域が住宅地に変貌しているので、遺構は湮滅しているが、曲輪の北側塁線の名残りが住宅地内の段差となって残っている。解説板も標柱もないが、城跡らしい名残りは残っている。
外郭北側に残る段差→IMG_1802.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.240535/139.386270/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント