茂庭周防屋敷(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]
←屋敷跡に建つ仙台大神宮
茂庭氏は、伊達氏の歴世の功臣である。元は鬼庭姓で、鬼庭左月斎良直が伊達輝宗の評定役に抜擢されて以来、伊達氏の重臣となった。良直の子綱元は、伊達政宗(貞山公)に仕え、朝鮮出兵の際にも政宗に従い、豊臣秀吉に謁して寵遇を得た。この時、秀吉の命により姓を茂庭と改めたと言われる。藩政時代に茂庭氏は、代々志田郡松山城(千石城)を領し、伊達騒動などでも重要な役割を果たした。
茂庭周防屋敷は、仙台城下にある茂庭氏本家の屋敷である。現在は仙台大神宮となっている。市街化が激しく、遺構はおろか往時の雰囲気も望むべくもないが、仙台城の大手筋にも近く、仙台藩内での高い地位が伺われる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.258124/140.865412/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
茂庭氏は、伊達氏の歴世の功臣である。元は鬼庭姓で、鬼庭左月斎良直が伊達輝宗の評定役に抜擢されて以来、伊達氏の重臣となった。良直の子綱元は、伊達政宗(貞山公)に仕え、朝鮮出兵の際にも政宗に従い、豊臣秀吉に謁して寵遇を得た。この時、秀吉の命により姓を茂庭と改めたと言われる。藩政時代に茂庭氏は、代々志田郡松山城(千石城)を領し、伊達騒動などでも重要な役割を果たした。
茂庭周防屋敷は、仙台城下にある茂庭氏本家の屋敷である。現在は仙台大神宮となっている。市街化が激しく、遺構はおろか往時の雰囲気も望むべくもないが、仙台城の大手筋にも近く、仙台藩内での高い地位が伺われる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.258124/140.865412/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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