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松森城(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1945.JPG←主郭北西の堀切
 松森城は、戦国時代に仙台平野の中央部から北部を支配した国分氏の居城である。戦国時代に国分盛顕がこの地に移って居城としたとされるが、盛顕については歴史に混乱があり、事績が明確ではない。松森城の最後の城主は、国分氏17代の盛重である。盛重は、伊達晴宗の5男で、貞山公政宗の叔父に当たり、国分氏の家老堀江掃部允の支持を受けて国分氏に入嗣した。しかし国分氏家中の反発を受けながら強行された入嗣であったため、当主となってからも家中の反乱が度々起き、政宗の不興を買って、国分氏家臣は伊達氏に編入された。盛重は伊達氏の家臣として活動したが、1596年に佐竹氏の元に出奔し没落した。その後松森城は、伊達氏の重要な城の一つとなり、江戸時代には仙台藩の正月行事である「野始」(狩猟、軍事訓練)の舞台となったと言う。

 松森城は、七北田川の北側の比高65m程の山上に築かれている。東方1.8kmには、かつて国分氏と敵対した留守氏の居城岩切城がそびえている。城跡は現在、鶴ヶ城公園となっているが、夏場は雑草が伸び放題で、遺構の確認が大変である。山頂の主郭を中心に、四方に舌状曲輪を配したX字状の曲輪配置となっている。主郭と各曲輪の間には堀切が穿たれ、これらの堀切を繋ぐ様に主郭外周に武者走りが築かれている。主郭に次いで大きいのが南東の曲輪で、これが二ノ郭であったらしい。二ノ郭の先にも尾根が伸び、曲輪がある可能性があるが、雑草がひどくて確認できなかった。岩切城と比べるとかなり小規模な城で、歴史に名を刻む国分氏の最後の居城にしては、随分とささやかな城という印象である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.317602/140.919678/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


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タグ:中世山城
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