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熊城(山梨県甲府市) [古城めぐり(山梨)]

IMG_2559.JPG←主郭東斜面の畝状竪堀
 熊城は、歴史不詳の城である。戦国武田氏3代の詰城、要害城の隣の尾根にあることから、要害城の南を守る支城として武田氏によって築かれたと推測されている。

 熊城は、前述の通り要害城のある要害山から深い谷を挟んだ南の尾根に築かれている。標高730mの峰で、標高780mの要害城より50m程低い位置にある。9月下旬の日本城郭史学会の見学会で、要害城に続いて背後の尾根を回り込んで訪城した。本城の要害城よりも少数の兵で防衛するため、防御構造はより厳重に構えられている。まず堀切の規模が要害城よりも大きい。特に主郭背後の大堀切は深さ10m程もあり、切岸も急峻である。その背後には独立堡塁状の三ノ郭がそびえ、その背後も大堀切で分断して、尾根筋を完全に遮断している。主郭は東側に土塁が築かれ、後部には櫓台らしい土壇が備わっている。主郭前面には2段の段曲輪があり、上段のものには物見台が築かれている。主郭からこの段曲輪にかけての切岸には石垣が築かれている。小規模ではあるが、要害城のものより残存状況は良い。主郭の東斜面にトラバースすると、畝状竪堀が穿たれている。しっかりとした規模のもので、その形状がはっきりと分かる。主郭背後の大堀切から落ちる竪堀と連続して穿たれており、堀切上からでも大きな竪土塁が見える。尾根上に戻って段曲輪から降ると、城内で最大の広さを持つニノ郭に至る。ニノ郭も南東辺に土塁を築き、前面にも石塁を伴う土塁を築いている。ニノ郭前面にも3つの段曲輪が置かれている。ここの南斜面にも畝状竪堀があり、ここのものもその形状がはっきりと分かる。更に降ると2本の堀切と小郭群があり、先端に物見台の岩場がある。ここから尾根をずーっと降った所に岩がゴロゴロした平場があるが、これはどうやら近世以降の石切り場であったらしい。
 熊城の遺構は以上で、畝状竪堀が夏でもはっきりわかる素晴らしい縄張りである。武田氏系城郭で畝状竪堀が構築されている例は少なく(放射状竪堀の例は多いが)、その意味でも貴重である。9月下旬でまだ残暑の時期であったが、薮が少なく遺構がはっきり確認できる。案内していただいた岩本先生、ありがとうございました。
石垣→IMG_2567.JPG
IMG_2590.JPG←ニノ郭南斜面の畝状竪堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.701586/138.601488/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世山城
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