慈恩寺城館群 その2(山形県寒河江市) [古城めぐり(山形)]
慈恩寺城館群には2018年の秋に行っているが、まだ草枯していない初秋であったので、一番城跡らしい遺構を残している日和田楯に行くことができなかった。今回は日和田楯を踏査する為、草枯した晩秋に訪城した。
【日和田楯】
←主郭背後の大空堀
日和田楯は、一説には日和田五郎と言う者が南北朝期頃に楯主であったとされる。楯腰稲荷神社背後の比高40m程の丘陵突出部に築かれているが、神社が建っているのもかつての楯の腰曲輪である。頂部に長方形に近い形状の主郭を置き、東と南に腰曲輪を廻らし、大切岸の東下に更に数段の腰曲輪を築いている。主郭内部は薮が多くてわかりにくいが、南東角部が一段低くなっており、内枡形の虎口であった様である。また主郭の北角には櫓台が築かれ、その背後はL字型の大空堀を穿って台地基部と分断している。この他に、大空堀の外側にも腰曲輪群がある様だが、薮がひどかったので未確認である。
尚、この楯を中心に、日和田集落をコの字型に内堀・中堀・外堀の三重の堀で囲んだ総構えの構造を持っていたと言うが、現在は残っていない様だ。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.409180/140.257291/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
【日和田楯】
←主郭背後の大空堀
日和田楯は、一説には日和田五郎と言う者が南北朝期頃に楯主であったとされる。楯腰稲荷神社背後の比高40m程の丘陵突出部に築かれているが、神社が建っているのもかつての楯の腰曲輪である。頂部に長方形に近い形状の主郭を置き、東と南に腰曲輪を廻らし、大切岸の東下に更に数段の腰曲輪を築いている。主郭内部は薮が多くてわかりにくいが、南東角部が一段低くなっており、内枡形の虎口であった様である。また主郭の北角には櫓台が築かれ、その背後はL字型の大空堀を穿って台地基部と分断している。この他に、大空堀の外側にも腰曲輪群がある様だが、薮がひどかったので未確認である。
尚、この楯を中心に、日和田集落をコの字型に内堀・中堀・外堀の三重の堀で囲んだ総構えの構造を持っていたと言うが、現在は残っていない様だ。
主郭の腰曲輪→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.409180/140.257291/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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