御館山城(山形県大江町) [古城めぐり(山形)]
←山頂の大江高基と3家臣の墓
御館山城は、寒河江城を本拠とした寒河江大江氏滅亡の地である。貫見では、「大江懐顕貫見楯に住す」「政顕要害楯に住す(1292年)」と大江氏系図にあるのを始めとし、大江一族が古くからこの地で勢力を養っていた。1584年、山形城主最上義光の攻撃によって寒河江大江氏18代高基は、寒河江城から甥の松田彦次郎の拠る貫見楯に逃れ、12家臣が防戦している間に高基は御館山城に登り、3家臣と共に自刃したと言う。
御館山城は、標高438m、比高238mの御館山に築かれている。まともに山麓から登ったら大変だが、幸い西麓の貫見集落から御館山の南まで林道が伸びており、途中までは車で登ることができる。途中からは歩きとなり、30分程度で御館山に至る。肝心の遺構であるが、かなり不明瞭で、ほとんど普請されておらず自然地形にしか見えない。従って城郭遺構を期待して訪城するのはお勧めできない。しかし城跡とされる山頂の平場には、ここで自刃して果てた大江高基と3家臣の墓が建てられており、重要な歴史を刻んだ場であることは確かであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.370766/140.109576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
御館山城は、寒河江城を本拠とした寒河江大江氏滅亡の地である。貫見では、「大江懐顕貫見楯に住す」「政顕要害楯に住す(1292年)」と大江氏系図にあるのを始めとし、大江一族が古くからこの地で勢力を養っていた。1584年、山形城主最上義光の攻撃によって寒河江大江氏18代高基は、寒河江城から甥の松田彦次郎の拠る貫見楯に逃れ、12家臣が防戦している間に高基は御館山城に登り、3家臣と共に自刃したと言う。
御館山城は、標高438m、比高238mの御館山に築かれている。まともに山麓から登ったら大変だが、幸い西麓の貫見集落から御館山の南まで林道が伸びており、途中までは車で登ることができる。途中からは歩きとなり、30分程度で御館山に至る。肝心の遺構であるが、かなり不明瞭で、ほとんど普請されておらず自然地形にしか見えない。従って城郭遺構を期待して訪城するのはお勧めできない。しかし城跡とされる山頂の平場には、ここで自刃して果てた大江高基と3家臣の墓が建てられており、重要な歴史を刻んだ場であることは確かであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.370766/140.109576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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