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姉歯下楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_6515.JPG←主郭~西郭間の堀切
(2019年11月訪城)
 姉歯下楯(姉歯下館)は、奥州藤原氏4代泰衡の家臣であった姉歯平次光景の後裔、姉歯右馬允の居城と伝えられる。姉歯氏は、室町時代には大崎氏の家臣となり、大崎氏最後の当主義隆の時代まで大崎氏に仕えた。1590年に姉歯下館は落城したとされる。その後、仙台伊達藩の支配下となると姉歯氏は伊達家家臣となったらしく、戊辰戦争の際に新政府軍参謀の世良修三を暗殺した仙台藩士姉歯武之進を輩出した。

 姉歯下楯は、標高56m、比高40m程の東西に長い丘陵上に築かれている。東端部近くの市道脇に解説板が立っており、その脇から登道が付いている。東端から西に登るとすぐに切通し状の大手道があり、クランクしながら台地上に登っていく。このクランクした大手道の脇には櫓台の様な土壇が見られ、登城道を防衛していたと見られる。その先は竹林となった東郭があり、西側に堀切が穿たれている。その先にやや起伏のある曲輪が続き、いくつかの腰曲輪の段の先に二ノ郭がある。二ノ郭前面には枡形の様な地形や虎口の様な溝地形があるが、形状があまりはっきりしない。二ノ郭は2~3m程度の切岸で区画され、その外周に広い腰曲輪群を伴っている。二ノ郭には、姉歯氏の末裔の郷土史家が立てた小さな石碑がある。二ノ郭の南西には大きな繋ぎの曲輪が続き、その先に三角形をした主郭がある。主郭も二ノ郭同様、切岸で囲まれ、外周に腰曲輪を伴っている。主郭内は薮がひどく、進入は困難である。主郭周囲の切岸はニノ郭より大きく、4~5m程ある。主郭の腰曲輪は幅が狭く、主郭の北から西にかけては横堀となっている。北尾根・西尾根ではこの横堀がそのまま堀切を兼ねている。主郭の西尾根には西郭が置かれ、先端に腰曲輪が2段築かれて城域が終わっている様だ。主郭南側の腰曲輪も一部が横堀状となり、竪堀状の城道が落ちている。以上の様に、姉歯下館は傾斜の緩い台地の上に、浮島の様に主郭・二ノ郭を間隔をおいて配置している。遺構はよく残っているが、薮が多い部分もあって、あまり見栄えしないのが残念である。
クランクする大手道→IMG_6386.JPG
IMG_6406.JPG←東郭西側の堀切
二ノ郭切岸と腰曲輪→IMG_6423.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.781170/141.062962/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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史学会帰り新参

姉歯という名前からもしやと思ったら、姉歯一族の城ですね。一族といっても世良を成敗した姉歯武之進しか知りません。姉歯武之進も白河城の戦いで戦死しました。
全く無名な城なですが説明板や石碑があるなら何とかたどりつけそうです。藪の箇所も多くて難儀しそうな城ですね。藪でも竹藪だとさらに難易度が高いです。
by 史学会帰り新参 (2020-05-13 23:42) 

アテンザ23Z

>史学会帰り新参さん
私はこの城館を知るまで、姉歯と言うと、耐震偽装の姉歯しか知りませんでした(-_-;)
遺構はなかなかしっかりしているのですが、途中の竹藪が荒れているので少々難儀しました。二ノ郭に石碑があるのは、見つけるまで知りませんでしたので、見つけた時はちょっと感動しました。
by アテンザ23Z (2020-05-14 00:12) 

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