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梨崎楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_6657.JPG←主郭の切岸
(2019年11月訪城)
 梨崎楯(梨崎館)は、『日本城郭大系』では梨崎城と記載される。城主は梨崎近江とも、清原隆久の裔孫三宮讃岐守重隆が有賀城から移ったとも言われる。

 梨崎楯は、比高30m程の低丘陵先端部に築かれている。東麓から住宅脇を抜けて山林内に登っていく道があるので、それを登って山に入り、後は適当に登っていけばよい。東側は腰曲輪群になっており、段々に平場が築かれている。中には、内枡形のような地形も見られる。山内は薮が多いので、少々見栄えしないが、遺構はよく残っている。城の中心に主郭があるが、高さ3~4mの切岸で囲まれており、ーOーという珍しい形状の主郭である。主郭には土塁はなく、主郭の周りは幅広のニノ郭で囲まれている。主郭の背後に当たる西側には堀切が穿たれ、南北の二ノ郭を繋ぐ城内通路を兼ねている。この堀切の南は二ノ郭から南斜面に落ちる竪堀となっている。またこの堀切の北側は、後述するクランクする堀に繋がっている。堀切の西には独立小郭を挟んで更に堀切が穿たれており、主郭の西側は二重の堀切で台地基部を分断していることになる。外側の堀切は、南は一直線であるが、北側では大きく東側にクランクして、最後は北斜面に竪堀に変化して落ちている。この竪堀に沿って、その東側に最下段の腰曲輪の西端部から落ちる竪堀があり、二重竪堀となっている。この北下方には溜め池があり、二重竪堀はそこに落ちている。往時も溜め池があったとすれば、船着き場との通路を兼ねていた可能性もある。この他、二ノ郭の北・東・南の三方には腰曲輪群が築かれている。草木が多くてわかりにくいが、南東に竪堀状虎口があり、それに直交する形で南腰曲輪へ通じる横堀状の切通し虎口が築かれている。また南東に張り出した尾根上の曲輪には、その付け根の両側に堀切が穿たれ、これも竪堀状虎口として機能していたらしく、北のものは住宅脇の登り道まで通じている。以上が遺構の概要である。
 室町時代にこの地域では大崎・葛西の両勢力が拮抗し、勢力拡大や自衛の為の防御施設として山城や居館が盛んに築城されたと言われている。梨崎楯も、大きくクランクした空堀や竪堀など、そうした状況を象徴するような実戦的な縄張りを垣間見せている。大崎氏勢力の城であった高根城と縄張り的に共通点が見られ、梨崎楯も大崎氏勢力が築いた可能性が考えられる。
クランクする空堀→IMG_6631.JPG
IMG_6609.JPG←西側の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.790051/141.066931/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

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  • 作者: 松岡 進
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  • 発売日: 2015/02/27
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
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