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堀江山城(栃木県矢板市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN5233.JPG←西側の横堀
 堀江山城は、塩谷氏の居城川崎城の支城である。源姓塩谷氏の初代頼純(堀江頼純)が、12世紀初め頃に摂津国堀江荘から下野国塩谷荘に流罪となり、館ノ川に築城したのが始まりとされる。しかしこの時の城は平城で、現在の城の西側、山地の谷間に背後の山を防壁とし、前面に堀を設けた馬蹄形の館だったと推測されている。従って、現在残る山城遺構がいつ構築されたものかは、不明である。尚、御前原城が頼純の居城であったとの説もある。頼純が義父原重房に討たれると一時廃城となったが、陸奥国へ逃れていた頼純の子惟純が本領の塩谷荘に復帰し、塩谷氏を継ぐと城を再興した。源姓塩谷氏が断絶し、宇都宮業綱の次男朝業が入嗣して塩谷氏を継ぐと(藤姓塩谷氏)、新たに川崎城を築いて居城とし、以後堀江山城は川崎城の支城となった。その後の歴史は定かではないが、1595年に川崎城と共に廃城となったと言う。

 堀江山城は、川崎城のある丘陵の南続きにあり、川崎城から南東約700mの比高50m程の山上に築かれている。南の車道から山林内に入れば、もう城域である。堀江山城は、山頂に主郭・二ノ郭の2段の平場を築いている。主郭内は後部に向かって高くなっており、全体に傾斜している。主郭の東側は崩落しているが、それ以外の外周には横堀・腰曲輪が廻らされている。横堀は西面から北面まで伸びている。西面では更にその下方にも横堀があり、二重横堀の防御ラインとなっている。主郭・二ノ郭の南側の腰曲輪に対しては、主郭・二ノ郭から塁線が張り出し、横矢を掛けている。この他、南東と南に2つの長い竪堀が落ちており、特に南東のものは両側に腰曲輪が連なり、城内通路であったことがわかる。
 堀江山城は、コンパクトな平山城であるが、横堀や横矢掛りなど、戦国後期の様相を見せている。遺構はよく残っているが、未整備の山林が少々荒れているのが難である。

 尚、川崎城と堀江山城を繋ぐ丘陵の中間部には大堀切が穿たれている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.782566/139.924289/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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