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駒場小屋楯(宮城県大衡村) [古城めぐり(宮城)]

DSCN6403.JPG←主郭前面の二重堀切の内堀
 駒場小屋楯(駒場小屋館)は、鶴巣楯主黒川氏に属する児玉氏の居城と伝えられている。伝承では、児玉右近・同惣九郎と言う武士が2代に渡って天正年間(1573~92年)まで居住したとされる。児玉氏の詳細は不明であるが、元々関東武士の流れを汲み、隣接する大森地区の中楯城も支配していたと伝えられ、この地域一帯を領していた小豪族と推測されている。城は東北自動車道建設のため、昭和48年に遺構の一部が発掘調査され、建物跡や門跡などが確認されている。

 駒場小屋楯は、標高70m、比高30~40m程の丘陵上に築かれている。城の南東部は東北自動車道建設のため消滅しているが、全体の3/4程の遺構が残存している。この城へは、北西の谷筋から登るのがわかりやすい(数年前に北尾根からアプローチしたが、薮に阻まれ失敗した)。途中まで小道があり、この小道の入口(民家に通じる道との分岐部)には「駒場館跡」と書かれた解説板が立っている。小道は途中で消失しているが、奥に進むと小さな沢沿いに出て、それを越えて南に登ればすぐ城域に至る。駒場小屋楯は、長方形の主郭を中心とする主郭群と、その南東の小丘に築かれた副郭群から構成されている。主郭群は、主郭の南北に幅の広い二ノ郭(北二ノ郭・南二ノ郭)を築き、主郭はその上に高さ7~8m程の大切岸でそびえている。主郭の前面には大型の二重堀切が穿たれ、その前には半月形の西郭があり、西郭の全面にも円弧状に横堀が穿たれている。西郭の南端には桝形虎口が構築され、二重堀切の脇を抜けて南二ノ郭に通じている。南二ノ郭の下方にも腰曲輪が築かれている。主郭群の東端部は高速道建設で消滅している。一方、完全消滅していると思っていた副郭群は、実際には西側1/3程度が残っている。副郭は物見台的な曲輪であるが、発掘調査で建物跡が検出されている。副郭群南の尾根に穿たれた二重堀切も、一部が残っている。副郭群の西側下方には円弧状の横堀があるらしいが、草木が茂っていてよくわからなかった。以上が遺構の概要で、主郭の切岸は大きく、二重堀切の規模も大きく、中々見応えがある。

 一部が高速道建設で破壊されたとはいえ、これほど遺構がよく残り、解説板まで立っているのに、ネット上では発掘調査報告書以外の情報が皆無であるのは不思議でならない。東北地方には、まだまだ知られていない良好な中世城郭が多い。
主郭切岸と南二ノ郭→DSCN6411.JPG
DSCN6447.JPG←副郭群の残存状況

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.478420/140.922779/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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