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鳥嶋楯(宮城県加美町) [古城めぐり(宮城)]

DSCN6693.JPG←南郭~中2郭間の堀切
 鳥嶋楯(鳥嶋館)は、大崎氏の家臣北郷右馬允の居城と伝えられている。北郷氏は、一栗城主一栗弾正の一族であったと言う。右馬允は、1590年の葛西大崎一揆の際、佐沼城に入って大将の一人として伊達軍に抗戦し、討死したとも、桃生郡深谷に於いて惨殺された(須江山の惨劇)とも伝えられる。

 鳥嶋楯は、田川北方に連なる丘陵地の一角にある。標高80m、比高25m程で、城全体の形状は3本の指が前に突き出た鳥の足のような形状をしている。主郭と思われるのは鳥の足の付け根に当たる北西の曲輪で、場内最大の面積を持ち、ほぼ方形をしている。曲輪内部は削平されているが、周囲に土塁はなく、背後の切岸も甘く、随分と無防備な感じである。この主郭から東・南東・南の三方に、3本指に当たる曲輪が突き出ている。仮にこれらを東郭・中2郭・南郭と呼称する。主郭との間はいずれも堀切で分断されている。東郭では二重堀切となっており、また東郭の北側には横堀が穿たれている。中2郭と南郭は、主郭との間に小さな半円形の曲輪を置いている。ここではこれを中1郭と称する。中1郭は背後に主郭との間を分断する堀切を穿ち、前面の中2郭と南郭との間にもそれぞれ堀切を穿っている。中2郭と南郭の付け根部分の間も堀切で分断されている。またこれら3本指の曲輪の間には、ちょうど鳥の足の水かきのようになっており、ここも暗部の曲輪群となっている。この他、中1郭の西斜面にも腰曲輪群が築かれている。鳥嶋楯は、主郭と東郭以外は藪が多くて踏査が大変であるが、全体に堀切の規模が大きく、かなりしっかりと普請された城であることがよく分かる。尚、城の北西麓の車道脇に城址標柱が立っている。
主郭~東郭間の二重堀切→DSCN6612.JPG
DSCN6622.JPG←東郭北側の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.601210/140.798990/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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