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臥牛楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN7316.JPG←三重堀切の内堀
 臥牛楯(臥牛館)は、大崎氏の家臣石川蔵人の城と伝えられている。それ以外の歴史は不明であるが、その普請の規模と構造から推測して、戦国時代の城であることは疑いないだろう。

 臥牛楯は、八幡楯南東の標高90mの峰に、八幡楯とすぐ隣接して築かれている。屯岡八幡神社の南の参道が、南の尾根上に達したところに鳥居が立っているが、そこから参道を東にそれるとすぐに尾根を断ち切る大きな三重堀切が現れる。この堀切は面白い構造で、尾根から南側は三重堀切だが、尾根の北側は中堀がなくなって二重堀切となっている。また内堀は深い薬研堀で、完全に八幡楯側と分断している。この堀切の東側に二ノ郭があり、更に堀切を介して南東に主郭が置かれている。主郭の周囲には腰曲輪が築かれている。臥牛楯は横堀・竪堀を多用した城で、主郭~二ノ郭間の堀切から北に落とした竪堀には、主郭の北面から東面にかけて穿たれた横堀と二ノ郭北側下方の横堀が段違いに接続している。また主郭の南東部では、外周の横堀から腰曲輪を分断する様に東に竪堀を落とし、その左右に段違いに横堀を繋げている。この段違いの横堀は、それぞれ主郭周囲の腰曲輪の下方に構築されている。主郭の側の腰曲輪では、南西部の土塁の脇に竪堀が落ち、また主郭下方を南西に降る尾根にも、尾根と平行に竪堀が落ちている。藪が酷いのでわかりにくいが、どうも尾根の両側に竪堀が落ちている様である。
 臥牛楯は、主郭の北東から東面にかけて二段の横堀を配置して防御を固めており、この方面からの攻撃を強く意識している。また横堀は竪堀と接続されて堀のネットワークを形成し、戦国後期の巧妙な縄張りを見せている。

 尚、隣接する八幡楯と比較すると、堀などの構築の規模と構造が全く異なり、八幡楯が戦国時代以前の古い城砦であるのに対して、臥牛楯が設計の新しい城であることがよく分かる。この様に築城時代の違いが如実にわかる城が隣接して存在する例は、極めて珍しい。
 ちなみに、山の形などを形容した名称「臥牛」が、城の別称ではなくそのまま正規の城名になっている珍しい例でもある。
竪堀に繋がる二ノ郭横堀、腰曲輪→DSCN7328.JPG
DSCN7368.JPG←南東の竪堀と横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.811924/140.996164/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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