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保呂羽楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN7479.JPG←主郭の天守台らしい土壇
 保呂羽楯(保呂羽館)は、計須見館とも言い、二迫氏が城主であったとも、或いは無冠太夫伯元の居城であったが安部貞任に攻め落とされたとも伝えられる。現地の城址標柱の解説文には、1499年の『薄衣状』(薄衣城主薄衣美濃入道が大崎氏の内紛に巻き込まれて葛西軍の攻撃を受けた時、薄衣氏が伊達尚宗に支援を要請した書状)にかすかにその存在を示していると言う。

 保呂羽楯は、標高200m、比高150mの山上に築かれている。北東に尾根が長く伸びた山なので、まともに登ると結構な時間を要するが、幸いにも東麓の貯水池脇から林道が通っており、この道で城近くまで車で登ることができる。この道は未舗装路だが、きれいに整地された道で、普通の乗用車でも困難なく通ることができる。この道が東向きから西向きに大きく180度向きを変える部分の横に竪堀の様な地形が藪の中にあるが、実際にこれは主郭群背後の堀切から落ちる竪堀で、この竪堀沿いに登っていけば城域に達する。保呂羽楯は一城別郭の城で、西の主郭群と東の二ノ郭群とで構成されている。いずれも頂部に広い曲輪を置き、外周に腰曲輪を廻らしている。二ノ郭では腰曲輪は1段で、南東の尾根に向かって竪堀状の虎口があり、尾の尾根が大手だった様である。また二ノ郭腰曲輪の北側には舌状曲輪が張り出し、その先端から北西の尾根に2段程の段曲輪が置かれている。二ノ郭群と主郭群の間は浅い堀切で区画されている。主郭群は、頂部の曲輪の外周に3段程の腰曲輪を廻らしている。主郭内には天守台か櫓台らしい土壇が築かれ、その脇には祠が祀られている。主郭群の背後(西側)には鞍部の曲輪があり、この曲輪はいくつかの段に分かれ、西側に土塁が築かれている。土塁の外には城域西端の堀切が穿たれている。以上が保呂羽楯の遺構で、城内には西尾根から主郭に至る作業林道が通るが、破壊は最小限に押さえられている。また城内は綺麗に藪払いされており、遺構が見やすい。無名にも関わらず非常にきれいな城跡で、おすすめである。
 尚、城址標柱は、城からかなり離れた北東麓の車道脇に立っている。
二ノ郭切岸と腰曲輪→DSCN7517.JPG
DSCN7551.JPG←二ノ郭群北の舌状曲輪
城域西端の堀切・土塁→DSCN7451.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.818930/140.914346/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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