秋法楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]
←主郭手前の腰曲輪群
秋法楯(秋法館)は、この地の土豪秋法氏の居城と考えられている。また別説では、城主は橘遠江とも言われる。いずれにしても詳細は不明である。
秋法楯は、丘陵北西端に張り出した標高125m、比高40m程の小山に築かれている。明確な登道はないが、比高わずか40m程なので、適当に取り付きやすい北斜面を直登した。山上に主郭を置き、北側斜面に3~4段の段曲輪・腰曲輪を築いただけの小城砦である。主郭は藪が酷く、ほとんど形状を追うことができない。主郭背後もド薮で、アプリのスーパー地形で見る限り、背後の尾根を分断する堀切が穿たれていると思われるが、藪が酷くて明確には確認できなかった。大手は北東にあったらしく、この方向に段曲輪が続いている。城址標柱が、西麓の車道脇に立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.798363/140.905527/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
秋法楯(秋法館)は、この地の土豪秋法氏の居城と考えられている。また別説では、城主は橘遠江とも言われる。いずれにしても詳細は不明である。
秋法楯は、丘陵北西端に張り出した標高125m、比高40m程の小山に築かれている。明確な登道はないが、比高わずか40m程なので、適当に取り付きやすい北斜面を直登した。山上に主郭を置き、北側斜面に3~4段の段曲輪・腰曲輪を築いただけの小城砦である。主郭は藪が酷く、ほとんど形状を追うことができない。主郭背後もド薮で、アプリのスーパー地形で見る限り、背後の尾根を分断する堀切が穿たれていると思われるが、藪が酷くて明確には確認できなかった。大手は北東にあったらしく、この方向に段曲輪が続いている。城址標柱が、西麓の車道脇に立っている。
主郭背後の堀切らしい地形→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.798363/140.905527/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世平山城
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