山際楯(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]
←主郭背後の堀切
山際楯(山際館)は、奥州管領(後の奥州探題)として奥州に下向した斯波家兼(大崎氏の祖)の家臣湯山宗節が一時居城したと伝えられている。
山際楯は、JR川渡温泉駅の北東約600mの位置にある、西に向かって突き出た標高194mの山稜上に築かれている。城のある山稜の北から西を小河川が流れ、天然の堀となって機能している要害地にある。城の北側を通る県道から沢筋に降り、渡渉しやすい部分を渡って急斜面をよじ登って、尾根上に達する。そこから尾根を東に向かって登っていけばよい。最初は自然地形の細尾根だが、暫く歩くと曲輪らしいやや広い平場に至る。更に登っていくと堀切が穿たれている。堀切背後に段曲輪が一段あり、その上に主郭が築かれている。主郭は菱形に近い形状の曲輪で、後部に土塁を築いている。主郭背後には堀切が穿たれ、その先は自然地形の尾根となるが、少し進むと堀切と段曲輪が築かれている。その上は自然地形に近いが、物見郭となっている。物見郭の背後に堀切が穿たれている。おそらくここまでが城域だろう。また物見郭の南側下方には2段の腰曲輪が築かれ、前述の堀切から落ちる竪堀は、腰曲輪に繋がっている。この他、登ってきた尾根の西端には、堀切状の鞍部を介して物見らしい峰があるが、あまりに藪が酷く、遠目に眺めただけで踏査できなかった。以上が山際楯の遺構で、有事の際の詰城的な小城砦であった様である。おそらく南麓の平地に城主居館があったのだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.739691/140.785793/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
山際楯(山際館)は、奥州管領(後の奥州探題)として奥州に下向した斯波家兼(大崎氏の祖)の家臣湯山宗節が一時居城したと伝えられている。
山際楯は、JR川渡温泉駅の北東約600mの位置にある、西に向かって突き出た標高194mの山稜上に築かれている。城のある山稜の北から西を小河川が流れ、天然の堀となって機能している要害地にある。城の北側を通る県道から沢筋に降り、渡渉しやすい部分を渡って急斜面をよじ登って、尾根上に達する。そこから尾根を東に向かって登っていけばよい。最初は自然地形の細尾根だが、暫く歩くと曲輪らしいやや広い平場に至る。更に登っていくと堀切が穿たれている。堀切背後に段曲輪が一段あり、その上に主郭が築かれている。主郭は菱形に近い形状の曲輪で、後部に土塁を築いている。主郭背後には堀切が穿たれ、その先は自然地形の尾根となるが、少し進むと堀切と段曲輪が築かれている。その上は自然地形に近いが、物見郭となっている。物見郭の背後に堀切が穿たれている。おそらくここまでが城域だろう。また物見郭の南側下方には2段の腰曲輪が築かれ、前述の堀切から落ちる竪堀は、腰曲輪に繋がっている。この他、登ってきた尾根の西端には、堀切状の鞍部を介して物見らしい峰があるが、あまりに藪が酷く、遠目に眺めただけで踏査できなかった。以上が山際楯の遺構で、有事の際の詰城的な小城砦であった様である。おそらく南麓の平地に城主居館があったのだろう。
主郭後部の土塁→
←最初の堀切から落ちる竪堀お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.739691/140.785793/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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