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岩井堂砦(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN5490.JPG←岩井堂砦の遠望、
                          主郭は左下の平場
 岩井堂砦は、白井城岩櫃城の中間にあり、両者の間で抗争が繰り広げられた砦である。一説には、平安時代の延久年間(1069~74年)に山田太郎為村が築き、数代にわたり村上氏、後に下川辺朝村氏、藤原氏の居城となったと言う。戦国後期に武田氏配下の真田幸隆が岩櫃城を攻略して吾妻郡を支配下に収めると、上杉方の白井城との間にあるこの地は互いの動向を見定める絶好の物見場として、武田・上杉両氏の抗争の場となった。1579年には真田昌幸の家臣海野長門守が城主となり、その後、富沢伊賀が在城したともされる。1587年7月には、上野北部に激しい攻勢をかけていた鉢形城主北条氏邦の軍勢が岩井堂砦を攻略している。

 岩井堂砦は、この地域に多い屹立する岩山に築かれている。南麓から登山道が整備されているが、なかなか険しい岩場の道である。途中、天然の堀切のような岩場を抜け、この道を登りきると、小さな小屋の建つ平場に至る。展望台として手摺やベンチが整備されており、ここが砦の主郭と思われる。ここからは吾妻川流域が一望できる。主郭の後部は一段高くなっており、その裏には天然の堀切地形がある。堀切地形の先にも「岩井堂砦登山道 狼煙洞」と表示があり、鎖場が続いている。屹立する岩の横を抜けて進むと、狼煙洞と思われる岩の大穴に至る。遠くから岩井堂砦を望むと、この上にも平場らしいものが見えていたので、その先にも登ってみたが、ハードなロッククライミングコースで、足を滑らせたら滑落必至の難所である。登った先の山上は猫の額ほどの小さい岩場で、立っているだけでも大変で、風の強い日だったらかなり危険である。国土地理院地形図を見ると三角点があるのは更にこの上だが、絶壁が続いており、本格的なロッククライマーでなければ、三角点にはとても近づけない。この様に岩井堂砦は、主郭部以外はほとんど城らしい普請のない、自然地形をそのまま利用した小城砦である。普通に考えれば争奪に値しないような砦だが、その優れた眺望によって、戦略的な重要性があったのだろう。
 尚、主郭から先はかなり健脚の人でないと危険な道なので、特に高齢者にはお勧めできないことをお断りしておく。
主郭→DSCN5466.JPG
DSCN5473.JPG←狼煙洞という岩場の大穴

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.559636/138.899943/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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