向田城(栃木県那須烏山市) [古城めぐり(栃木)]
←仲城(主郭)後部の櫓台
向田城は、仲館、仲城とも呼ばれ、この地の豪族向田氏の本拠と考えられている。『那須文書』等から享徳年間(1452~55年)・文明年間(1469~87年)頃に使用されていたと推測されている。
向田城は、那珂川の支流荒川南岸の比高30m程の段丘上に築かれている。国道294号線のすぐ東側にあり、城内は大きく2段の平場に分かれている。主郭に当たる上段の平場は仲城と呼ばれ、菱形の形状をしている。郭内は宅地や耕地となっているが、南端に一段高くなった墓地があり、往時の櫓台であった可能性がある。二ノ郭に当たる下段の平場は北城と呼ばれ、こちらも宅地と耕地になっている。北城の南辺部はわずかに高くなっており、仲城の腰曲輪に相当する平場と考えられる。その上には仲城の切岸がよく残っており、仲城北端部はやや北側に突き出て横矢を掛けている。また北城の西には仲城の切岸に沿って空堀が残っている。以上が向田城の状況で、宅地や耕地で改変されているものの、往時の雰囲気をよく残している。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.618800/140.155495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
向田城は、仲館、仲城とも呼ばれ、この地の豪族向田氏の本拠と考えられている。『那須文書』等から享徳年間(1452~55年)・文明年間(1469~87年)頃に使用されていたと推測されている。
向田城は、那珂川の支流荒川南岸の比高30m程の段丘上に築かれている。国道294号線のすぐ東側にあり、城内は大きく2段の平場に分かれている。主郭に当たる上段の平場は仲城と呼ばれ、菱形の形状をしている。郭内は宅地や耕地となっているが、南端に一段高くなった墓地があり、往時の櫓台であった可能性がある。二ノ郭に当たる下段の平場は北城と呼ばれ、こちらも宅地と耕地になっている。北城の南辺部はわずかに高くなっており、仲城の腰曲輪に相当する平場と考えられる。その上には仲城の切岸がよく残っており、仲城北端部はやや北側に突き出て横矢を掛けている。また北城の西には仲城の切岸に沿って空堀が残っている。以上が向田城の状況で、宅地や耕地で改変されているものの、往時の雰囲気をよく残している。
腰曲輪と仲城切岸→
←北城西部に残る空堀お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.618800/140.155495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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