熊田城(栃木県那須烏山市) [古城めぐり(栃木)]
←わずかに残る北側の塁線
熊田城は、下野の名族那須氏の庶流熊田氏の居城である。1222年に那須氏5代光資の次男光保が熊田の地を分封され、熊田城を築いて熊田氏を称した。熊田氏は一時中絶したが、1498年に熊田摂津守通実という者が再興したと言う。以後、資国・資長・資温・資安と続いて那須氏の羽翼として活動したが、1590年に那須資晴が改易となると、熊田氏も没落して廃城となった。
熊田城は、江川西岸の低台地の北端に築かれている。以前は塁濠がよく残っていたと言うが、現在は江川の改修による流路変更や耕地整理に伴い、遺構はほとんど湮滅している。わずかに北側の塁線だけが残っているが、その他は周囲より高い地形だけが往時の名残を留めているに過ぎない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.687091/140.111110/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
熊田城は、下野の名族那須氏の庶流熊田氏の居城である。1222年に那須氏5代光資の次男光保が熊田の地を分封され、熊田城を築いて熊田氏を称した。熊田氏は一時中絶したが、1498年に熊田摂津守通実という者が再興したと言う。以後、資国・資長・資温・資安と続いて那須氏の羽翼として活動したが、1590年に那須資晴が改易となると、熊田氏も没落して廃城となった。
熊田城は、江川西岸の低台地の北端に築かれている。以前は塁濠がよく残っていたと言うが、現在は江川の改修による流路変更や耕地整理に伴い、遺構はほとんど湮滅している。わずかに北側の塁線だけが残っているが、その他は周囲より高い地形だけが往時の名残を留めているに過ぎない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.687091/140.111110/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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