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鹿子畑館(栃木県さくら市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2984.JPG←館跡北辺の土塁
 鹿子畑(かのこはた)館は、この地の土豪鹿子畑氏の居館である。大田原氏に仕えていたが、1542年、鹿子畑能登の時に大田原資清の長男高増が大関氏を継いで白旗城主となると、能登は少年高増の後見人として白旗城下の余瀬に居を移し、鹿子畑館は廃されたと言う。以後、代々大関氏に仕えた。後の江戸時代に、松尾芭蕉の門弟で『奥の細道』にも出てくる鹿子畑翠桃(すいとう。実名は豊明。翠桃は俳号)を輩出した。

 鹿子畑館は、江川東岸の微高地にある。『栃木県の中世城館跡』によれば、東西約110m、南北73mの土塁があり、空堀が廻らされていたと言うが、北側を残して消滅したとされる。東輪寺周辺が、鹿子畑館があったという字名「前坪」であるが、館跡がどこなのか明確にできなかった。従って、残存土塁もあるのかどうかわからなかった。

【2024-3-9追記】
 前回訪城した時は、鹿子畑館の位置が分からなかったが、今回場所が特定できたので再訪した。前回館跡付近と思っていた場所から、ほんの150m程南西の民家である。北側の土塁がはっきりと残っている。しかし残念なことに、最近屋敷林を大々的に伐採したらしく、周囲には重機で乗り入れた跡が無惨に残り、伐採した枝が屋敷地の周りに土塁のように積まれていた。北側の土塁は辛うじて残っているという状況だった。北辺土塁の外周の空堀は、以前から既に湮滅していたのか、今回埋められてしまったのかわからないが、いずれにしても堀跡は湮滅していた。行政が有効な保護の手立てを講じることのないまま、また一つ、城館遺構が消え失せようとしている悲しい現状がそこにはあった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.727319/140.053893/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:居館
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