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大関城(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8726.JPG←外周の土塁
 大関城は、山田館・下山田城とも言い、那須氏の重臣大関氏の一時期の居城である。元々の創築は、鎌倉初期に那須資隆の8男片田(堅田)八郎義隆によると伝えられる。義隆は、大関城の北東に山田城(亀山城)を築いて詰城としていたと思われるが、後に片平城を築いて移り、片平氏を称した。時代は下って戦国初期の明応年間(1492~1501年)に、大関宗増は黒羽八幡館から大関城に居城を移した。その子増次の時に、先祖の増清が応永年間(1394~1428年)に築城した白旗城を修築して居城を移し、大関城は廃城となった。

 大関城は、那珂川東岸の河岸段丘の辺縁部に築かれている。西側を那珂川の侵食崖に接し、それ以外の三面に土塁と空堀を廻らした方形の平城である。郭内は田畑に変貌しているが、現在も外周を高さ数mの切岸で囲まれた城の形状をよく残しており、土塁も北から東・南東部にかけてよく残っている。周囲の水田も、堀跡であることが明瞭であるが、昭和30年代の航空写真と見比べると、堀跡の水田はかなり広げられているようなので、往時の規模でないことに注意が必要である。尚、航空写真で見ると、主郭の南にも堀跡の様な水田で囲まれた方形の区画が見られ、馬出しか、或いは重臣層の館跡である可能性もあるが、水田地帯に囲まれて近づくことができなかったので、確認できていない。これほど良好に残っているにも関わらず、市の史跡にも指定されておらず、従って解説板はおろか標柱すらないのが残念である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.806313/140.133190/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


常野記 (水戸藩領武茂郷と下野国黒羽藩の幕末・維新)

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