備中郭館(栃木県那須町) [古城めぐり(栃木)]
←南側の土塁
備中郭館は、伊王野氏の重臣薄葉氏の居館である。戦国末期~織豊期にかけての館主として、薄葉備中守の名が知られる。薄葉備中は、1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦として行われた、伊王野資信が上杉景勝軍を撃退した関山合戦において、奮戦したことが伝えられている。館は、1634年の伊王野氏改易の頃まで使用されたと言う。
備中郭館は、伊王野市街地を挟んで伊王野館や伊王野城と相対する位置に築かれている。三蔵川南岸の比高10m程の河岸段丘の北縁部に当たる。概ね扇形をした居館で、現在は民家の敷地となっているが、南から西側にかけて大きな土塁が残っている。また北西部には堀跡も確認できる。あまり期待していなかったが、思った以上に遺構がよく残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.954642/140.163317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
備中郭館は、伊王野氏の重臣薄葉氏の居館である。戦国末期~織豊期にかけての館主として、薄葉備中守の名が知られる。薄葉備中は、1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦として行われた、伊王野資信が上杉景勝軍を撃退した関山合戦において、奮戦したことが伝えられている。館は、1634年の伊王野氏改易の頃まで使用されたと言う。
備中郭館は、伊王野市街地を挟んで伊王野館や伊王野城と相対する位置に築かれている。三蔵川南岸の比高10m程の河岸段丘の北縁部に当たる。概ね扇形をした居館で、現在は民家の敷地となっているが、南から西側にかけて大きな土塁が残っている。また北西部には堀跡も確認できる。あまり期待していなかったが、思った以上に遺構がよく残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.954642/140.163317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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