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日ノ出砦(山梨県韮崎市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1294.JPG←砦の西半部
(2020年7月訪城)
 日ノ出砦は、鷹巣城、日之城などとも呼ばれ、室町時代に日一揆という武士団が拠点とし、また天正壬午の乱の際に徳川氏が修築して使用した砦である。1416年の上杉禅秀の乱の際、禅秀の舅であった甲斐守護武田信満が禅秀に加担して翌17年に敗死すると、武田惣領家の勢力は大幅に減退した。この結果、一族の逸見氏や守護代の跡部氏が甲斐支配の実権を握った。武田右馬助信長は、勢力回復のために逸見氏、跡部氏と戦った。一方、日一揆は輪宝一揆という武士団と対立状態にあった。日一揆は、武田信長と結んで、日ノ出砦を拠点とした。しかし1433年4月、信長・日一揆は跡部氏方に付いた輪宝一揆と荒川原で戦い、大敗して勢力が壊滅した。この時、日ノ出砦も一旦その使命を終えた。時代は下って1582年、織田信長の武田征伐によって武田氏が滅亡し、その3ヶ月後に信長が本能寺の変で横死すると、権力の空白地帯となった武田遺領を巡って、北条・徳川・上杉3者による争奪戦「天正壬午の乱」が生起した。この時、徳川家康は新府城に本陣を置いて、若神子城に本陣を置く北条氏直の大軍と対峙した。この対陣に於いて、徳川方が日ノ出砦を修築して再利用したと言われている。

 日ノ出砦は、塩川と三ノ蔵沢の合流点に望む断崖上に築かれている。しかし城内は全面的に耕地化されている他、中央自動車道が貫通して破壊を受けており、遺構は全く不明である。現地解説板によれば、「トリデ」「土居」「官女屋敷」「牛ヶ馬場」などの城郭関連地名が残ると言う。わずかに高速道に架かる橋が「砦橋」と言い、その袂に城址の石碑と解説板があるだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.734355/138.453881/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲信の戦国史:武田氏と山の民の興亡 (地域から見た戦国150年)

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