SSブログ

黒峰城(石川県珠洲市) [古城めぐり(石川)]

DSCN7241.JPG←主郭の土塁
(2020年11月訪城)
 黒峰城は、宝立山の南東の峰に築かれた山城である。伝承では阿部判官義宗が城主であったと伝えられるが、実在不明の伝説的人物とされる。天正年間(1573~92年)中期には上杉謙信の武将由井浄定が置かれたが、前田利家の軍勢によって落城したとも言われる。

 黒峰城は、標高436mの山上に築かれている。山の東の尾根まで車道が伸びており、その脇に城への登り口が明示され、登山道が整備されているので迷うことなく城まで行ける。この登山道は古くからの古道の一部で、黒峰城は古道を押さえるように築かれている。最高所に土塁で囲まれた五角形の主郭を置き、北に北郭、南東に二ノ郭を築いている。主郭は南北に虎口が構築され、北側では更にその外に食違いの土塁が築かれて食違い虎口が形成されている。またこの土塁のうち左手のものによって、主郭の北西側に横堀が形成されている。北郭の北端は物見台となってそびえ、その北尾根には二重堀切が穿たれている。二重堀切の形状はやや変則的で、外堀は内堀より高い位置に穿たれている。また内堀は、城の東西にある古道を繋ぐ切通し道となっている。主郭南東の二ノ郭は2~3段の平場に分かれ、東辺の一部に土塁を築いている。東端は物見台状に突出しており、そこからは飯田湾が一望でき、観光名所である見附島もよく見える。二ノ郭の西側は内枡形の様な空間を形成し、古道が通る下段の腰曲輪に通じている。この腰曲輪の西端には堀切と小郭が築かれ、小郭北側の古道沿いの斜面には畝状竪堀が穿たれている。この他、主城部から南に伸びる尾根には南郭群が置かれ、古道はその西側をすり抜けて南下し、南側で南郭群の下方を画する横堀状の切通し道となって下っている。

 黒峰城は、主城部が綺麗に整備されているので、整然とした遺構がよく分かる。また山上からの絶景も相俟って素晴らしい。畝状竪堀はやや薮が多いのが残念だが、古道を取り込んだ城の典型であり、見応えがある。能登の城で畝状竪堀と言えば、越後上杉氏の影響下の城であるので、黒峰城も上杉氏勢力が改修した戦国後期の城と考えるのが妥当であろう。
二ノ郭→DSCN7229.JPG
DSCN7270.JPG←畝状竪堀
北端の二重堀切→DSCN7254.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.420822/137.172450/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国の北陸動乱と城郭 (図説 日本の城郭シリーズ 5)

戦国の北陸動乱と城郭 (図説 日本の城郭シリーズ 5)

  • 作者: 佐伯哲也
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2017/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世山城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント