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丸岩城(群馬県長野原町) [古城めぐり(群馬)]

DSCN1760.JPG←土塁で囲まれた主郭
(2020年12月訪城)
 丸岩城は、真田氏が北条勢に対抗して守りを固めた城である。『日本城郭大系』によれば、元は元亀年間(1570~73年)に羽根尾城主羽尾幸全入道の城であったと伝えられるが、羽尾氏の城であったことが事実ならば、それは1563年の武田氏による岩櫃城攻略以前のことであろう。1582年8月、武田氏滅亡・織田信長横死後に生起した天正壬午の乱の際、大戸方面から侵入する北条方の内藤大和守に備えて、真田昌幸が丸岩城に湯本・西窪・横谷・鎌原等の吾妻諸将を交代で駐屯させ、岩櫃城と信州上田方面間の要路を確保した。その後、1584年3月に上杉景勝が岩井備前守に宛てた書状に、信州高井郡の地侍須田信正・市川信房が羽尾源六郎を助けて長野原・丸岩両城を奪取したと記載されていると言う。また1589年8月には、真田氏配下の北衛門・西窪治部・同甚右衛門が守備した。即ち、戦国末期に真田氏が北条氏の侵攻に抵抗していた時期には、丸岩城は北条勢の進出を防ぐための最前線となっていた。

 丸岩城は、標高1124mの丸岩の山上に築かれている。丸岩は、三方が100m余りの絶壁となった見るからに峻険な山であるが、南だけが尾根続きになっており、須賀尾峠を通る国道406号線脇から登道が付いている。南の尾根暗部に小さい平場があり、大手の平場とされている。そこから北の斜面を登ると、城から南に伸びる大手の尾根に至る。ここには中央に土塁が走り、その両側に腰曲輪が築かれている。中央の土塁は風除け土塁とされているが、それほど高さがあるわけではないので、土橋と言う方が合っているように思う。この尾根を登りきると、山頂の主郭に至る。主郭は東西に細長い狭小な曲輪で、周囲に土塁が築かれ、南西に大手の尾根に通じる虎口が築かれている。主郭の東側には段差の先に細尾根上の曲輪が続き、北斜面には腰曲輪群が3段程築かれている。この腰曲輪の下は前述の絶壁であり、掴まれる木も多くないので、下手に降りたら滑落して死ぬかもしれない。この他、主郭の北西には段曲輪群が築かれている。以上が丸岩城の概要で、城自体は細尾根の小城砦であるが、草津路の要衝須賀尾峠を押さえると共に吾妻渓谷沿いを監視する物見の城だったと思われる。
北斜面の腰曲輪群→DSCN1737.JPG
DSCN1732.JPG←北西の段曲輪群

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.528312/138.662449/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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