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白山城(山梨県韮崎市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN4045.JPG←西斜面の放射状竪堀
(2021年2月訪城)
 白山城は、鍋山砦とも呼ばれ、武田氏の支城である。創築は甲斐源氏武田氏の初代信義によるとされ、武田庄に築いた居館に対する要害城(詰城)として築いたと伝えられる。信義が失意の中で没し、孫の信長が伯父一条忠頼(信義の嫡男)の跡を継ぐと、信義の遺領は一条氏が相続した。信長から2代後の時信の諸子は分立して武川衆という地域武士団となって蟠踞した。その中で十郎時光が青木氏を名乗った。青木氏8代信種は、武田信縄・信虎・信玄3代に仕え、鍋山砦(白山城)を守って1541年に没したと言う。青木氏から庶流の山寺氏が分出して鍋山を領有すると、鍋山砦は山寺氏が守備することになった。1582年、武田氏滅亡・織田信長横死後に天正壬午の乱が生起すると、武川衆は徳川方に付いて活躍しており、山寺氏も徳川氏に臣従しているので、白山城も徳川方の防衛網の一部として機能したと推測されている。

 白山城は、標高561.1mの鍋山(城山)に築かれている。城は国指定史跡となっているので、南東麓の白山神社脇から登道が整備され、城内も薮払いされているので、遺構をよく確認することができる。ほぼ四角形をした主郭を中心に、北と東に腰曲輪を廻らし、南に二ノ郭、北の腰曲輪の先に堀切を穿って、土橋で連結した台形状の三ノ郭を配置している。主郭・二ノ郭・三ノ郭はいずれも枡形虎口を備え、特に主郭と三ノ郭では内枡形が明瞭である。主郭は全周を土塁で囲み、主郭の北側の腰曲輪にも土塁を築いている。二ノ郭は、東西で2段の平場に分かれ、下段郭は土塁を廻らし、上段郭は主郭との間に横堀を穿ち、横堀西端部を土橋で連結している。三ノ郭の北側と二ノ郭の西の尾根にも堀切が穿たれ、守りを固めている。西尾根には合計2本の堀切があるが、内堀は堀底が平坦で曲輪となっている。この城で出色なのは、武田氏の山城によく見られる放射状竪堀で、やや小さく浅いものの形はよく残っており、前述の堀切と組み合わせて効果的に山腹の敵兵移動を遮断していることがわかる。南東の大手道では、2本の竪堀で挟まれた扇形の斜面に土塁と横堀で木戸口を防御し、また北の搦手では、三ノ郭に向かって右は土塁、左は竪堀群で障壁を作っている。また三ノ郭の両翼には横堀を穿ち、枡形虎口と組み合わせて巧妙な防御を施している。白山城は、小規模な城ながら、戦国後期の武田流の築城技術が遺憾なく投入されており、出色の城である。
 尚、白山城の南北には北砦(北烽火台)南砦(ムク台烽火台)が残っており、白山城と共に国指定史跡になっている。
三ノ郭の内枡形→DSCN4018.JPG
DSCN4094.JPG←二ノ郭虎口~主郭虎口の導線
二ノ郭上段郭の横堀・土橋→DSCN4155.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.700828/138.422016/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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