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源太ヶ城(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN5553.JPG←主郭群
(2021年2月訪城)
 源太ヶ城は、甲斐源氏の祖新羅三郎義光の孫、逸見冠者黒源太清光が創築したと伝えられる。佐久往還を押さえる要衝で、戦国時代には古宮城を本拠とした津金衆が詰城としていた。1582年、武田氏滅亡・織田信長横死後に武田遺領をめぐって北条・徳川・上杉3氏が争った天正壬午の乱の際には、若神子城に本陣を置いた北条氏の後方守備の拠点となったと考えられている。

 源太ヶ城は、大門ダムによって形成された清里湖の南にそびえる、双峰の源太山に築かれている。ウッドペッカー・キャンプ場を抜ける車道が山の南東中腹まで付いており、そこからは歩きになるが、登山道が峰の近くまで整備されているので訪城は容易である。東西に並んだ双峰にそれぞれ独立した曲輪群が築かれている。東が主郭群、西が二ノ郭群で、いずれの曲輪群も頂部の曲輪を中心にその周囲にわずかに削平された腰曲輪・段曲輪を連ねただけの簡素な構造で、普請もささやかなものである。主郭群は、北東と南東の二方向に段曲輪群が築かれている。二ノ郭群は北西の尾根にだけ段曲輪群が連ねられている。両曲輪群を比較すると二ノ郭群の方が曲輪が広く、切岸などが明瞭である。以前は二ノ郭に模擬烽火台が建っていたが、現在は解体された残骸だけが残っている。この他、主郭群・二ノ郭群の間の鞍部には堀切が穿たれている。現状の遺構を見る限りでは、天正壬午の乱の際に使われたにしても、街道を押さえるための守備兵を置いただけで、積極的な普請はされていなかった様である。古い形態を留めた城である。
二ノ郭群→DSCN5571.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.870699/138.442787/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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