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旭山城(山梨県笛吹市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN6987.JPG←主郭の背後の石塁
(2021年2月訪城)
 旭山城は、一般には旭山烽火台と呼ばれ、御坂道を監視する城砦である。単なる烽火台にしてはかなりしっかりした普請がされていて、実質的に城郭として機能したと考えられるので、『戦国 武田の城』(中田正光著)の表記に従って、ここでは旭山城と記載する。1487年に武田信昌が広厳院に出した寺領寄進状に「南ハ城山之峰をきり」とあり、この時には旭山城が存在していたことが確認される。『甲斐国志』では寄進の意味から、この時には既に廃されていたと推測しているが、現在残る遺構や立地の重要性から、戦国期や天正壬午の乱の際にも使われていたのではないかと考えられている。

 旭山城は、御坂道の東にそびえる標高842m、比高380mの峻険な旭山に築かれている。山頂から金川に沿って並走する北西の尾根上に合計4ヶ所に渡って遺構が散在している。北西麓から登山道が整備されているので、迷うことなく登ることができる。最初に現れるのが大手中段の標高611m地点にある蚕影山の物見台で、切岸で囲まれた円形の平地となっていて、蚕影山の石碑が建っている。2つ目の遺構は、主尾根から北に派生した支尾根の先の標高735m地点にある出丸で、尾根上の平場とその先端に2段の腰曲輪がある。腰曲輪の両脇に竪堀があるとされるが、現状からではあまりはっきりしない。3つ目の遺構は旭山城の中核となる主城部で、標高809.4mの三角点のある峰にある。長円形の主郭を中心に周囲に腰曲輪1段を廻らしている。更に北西の大手筋に竪堀で側方防御した腰曲輪が置かれ、更に下方に尾根上の平場があり、付け根の両側を竪堀で穿っている。主郭の背後の切岸には石塁の残欠が見られ、竪堀もある。後部の尾根には浅い堀切が穿たれている。ここの主郭からは蜂城がよく見える。ここから更に登った旭山山頂にあるのが4つ目の遺構で、台形状の平場となっている烽火台である。この背後の尾根には合計3本の小堀切が穿たれている。尚、これら以外にも、途中の細尾根には竪堀で刻まれたS字型の土橋状の部分も見られる。遺構はよく残っているが、残念なことに旭山城の主城部や山頂の烽火台付近は、茶臼山烽火台と同様に強風による倒木で遺構が損壊しており、堀切に倒木が落ちて遺構が見にくくなっていたりもする。
 それにしても旭山山頂までは遠い登道で、参考にしている『甲斐の山城と館』の著者宮坂氏は御老体でよく登ったなぁと関心することしきりである。
蚕影山の物見台→DSCN6912.JPG
DSCN6936.JPG←北支尾根の出丸の腰曲輪
主城部の竪堀→DSCN6961.JPG
DSCN7018.JPG←山頂烽火台の堀切
登り途中のS字土橋と竪堀→DSCN6917.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【蚕影山物見台】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.620492/138.703068/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【北支尾根の出丸】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.618486/138.707489/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【主城部】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.615834/138.709184/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【山頂烽火台】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.614177/138.712059/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/03/24
  • メディア: 単行本


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