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岩谷要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN9634.JPG←堀切に築かれた木戸口
 岩谷要害は、那須氏の重臣角田氏が築いた城である。伝承によれば、源頼朝の那須野ヶ原の巻狩の際、三浦之介の居館であったと言い、また大関氏以前の地頭角田氏は三浦氏の後裔で、八幡館と共に角田氏の拠点であったらしい。後に大関氏に従い、天正年間(1573~92年)に大関氏が八幡館に入って黒羽城を築くと、角田氏は奥沢館を築いて移り、奥沢氏を称したと言う。

 岩谷要害は、那珂川東岸に連なる黒羽城・八幡館と続く丘陵上に築かれており、八幡館のすぐ北東に隣接するように築かれている。東の中腹に岩谷観音があり、その上に城がある。岩谷観音の境内の一番南に神社が建っているが、その脇に竪堀が落ちてきているので、それを登っていけば主郭周囲の空堀に至る。城は、4つの曲輪を南北に並べた連郭式で、北から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭・四ノ郭となる。主郭と二ノ郭は、ほぼ方形の曲輪で、空堀が全周している。主郭と二ノ郭の東西の空堀はほぼ一直線に貫通しており、この内西側の空堀は更に三ノ郭西まで貫通している。主郭周囲の空堀は、その北東角と西側中央付近から竪堀が落ちている。三ノ郭の南側には堀切が穿たれており、前述の西側空堀に繋がっているが、堀切と空堀の接続部には仕切り土塁が築かれて木戸口が構築されている。このことから堀切・空堀は堀底道を兼ねていたことがわかる。堀切南の四ノ郭に空堀はないが、外周を土塁で囲んでいる。三ノ郭内はほぼ自然地形の緩傾斜地となっている。三ノ郭と二ノ郭の間には空堀の中央部に土橋が架かっているが、薮で少々わかりにくい。二ノ郭は薮に埋もれているが、主郭は薮が少ない。主郭内は東に向かってやや傾斜し、東辺部に沿って腰曲輪状になっており、西辺には低土塁が築かれている。この他、主郭から北西に少し離れたところに堀があるが、遺構かどうかは不明である。岩谷要害は、ほとんど横矢掛りのない縄張りで、戦国前期以前に使われた城だったと思われる。
主郭空堀から落ちる竪堀→DSCN9727.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.876977/140.127343/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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