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黒羽城外郭(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN0792.JPG←南1郭西側の横堀
 黒羽城については、本丸などの中心部が公園化されており、また紫陽花の名所でもあるので、紹介しているHPも数多く、城郭サイトでも多数紹介されている。しかし、黒羽城の隠れた遺構である外郭遺構については、紹介しているHPはごく僅かである。
 一方で近年、電子国土(国土地理院)の傾斜量図やアプリ「スーパー地形」などで地形の詳細が顕わに表示されるようになり、それを調べた結果、黒羽城の南北には見事な遺構群が残っていることがわかっていた。今春、新型コロナの蔓延で県外への遠征が憚られる状況となったため、満を持して踏査した。

 ここで紹介するのは南の遺構群である。三ノ丸には、現在「黒羽芭蕉の館」という展示施設が建っているが、その西から南に伸びる台地上の竹林の中に、中世城郭そのままの遺構が残っている。堀切で区画された曲輪群が台地上に連なり、東西に腰曲輪を付随させた縄張りとなっている。便宜上、ここでは中心軸上の曲輪を、北から順に三ノ丸上段郭・南1郭・南2郭と呼称する。三ノ丸上段郭は、西側に広い腰曲輪3段を伴っている。一番上の腰曲輪の南西部には、土塁で方形に囲まれた大きな窪地がある。この窪地は切通し状の通路で2段目の腰曲輪に繋がっているが、形としては石垣山城の井戸曲輪と似ているので、ここも井戸曲輪であった可能性がある。或いは倉が置かれていたのであろうか。三ノ丸上段郭と南1郭は堀切で分断されているが、この堀切はそのまま西に竪堀となって落ちている。竪堀は下段の腰曲輪に通じており、城内通路を兼ねている。またこの竪堀と直交するように三ノ丸上段郭西側の腰曲輪に通じる切通し状虎口と南1郭西側の横堀が繋がっており、堀の十字路を形成している。南1郭は南端に櫓台を築き、その南には南2郭との間を分断する堀切が穿たれている。また南1郭の西側には延々と横堀が構築されている。南1郭の東の腰曲輪には大土塁があり、屈曲しながら大雄寺の裏まで伸びている。また堀切は堀底道となって大雄寺まで通じている。南2郭は舌状の曲輪で、南から東にかけて横堀を穿っている。ここは、大雄寺墓地の裏手に当たる。

 一方、北の遺構群は、主城部の曲輪群と半ば独立した様に北東に少し離れて存在している。これらはおそらく黒羽城築城以前にあった八幡館を利用した遺構と考えられるので、別項にて八幡館として取り上げることとする。

 このように黒羽城は、県内で屈指の近世城郭である一方、中世城郭的色彩を色濃く持っている。江戸時代には、黒羽藩大関氏は高々2万石以下の小藩で、城持ち大名とは認められなかったため、巨城にも関わらず陣屋扱いされていた程であった。これらの外郭は、江戸時代にはどの様に維持されていたのだろうか。なかなか興味が尽きない。
南1郭東の腰曲輪の大土塁→DSCN0824.JPG
DSCN0838.JPG←南1郭~南2郭間の堀切
横堀で囲まれた南2郭→DSCN0856.JPG
DSCN0902.JPG←腰曲輪の大きな窪地

 場所:【南1郭】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.866523/140.121528/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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