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桜田要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN1517.JPG←3郭虎口に架かる土橋
 桜田要害は、歴史不詳の城である。ただ、城巡りの先達「余湖くんのお城のページ」の情報によれば、永禄年間(1558~70年)頃に常陸の戦国大名佐竹義昭が武茂城を経由して白旗城に侵攻した際、小滝城を攻め落とすと青木要害は自落し、桜田要害の兵は降伏してきたと言う。従って、桜田要害は青木要害と共に那須氏の勢力によって築かれた城砦であったことがわかる。

 桜田要害は、標高290mの山上に築かれている。この山は直接街道に面しておらず、丘陵を一つ挟んだ奥に隠れるようにして築かれている。この様な選地の城は類例が少なく、私が過去に訪城した中では相模湯ノ沢城ぐらいしかなかったと思う。桜田要害へは、北の谷に入る林道があり、これを県道27号線から270m程西に入ると、南に登っていく作業用林道(南に入り込んだ谷の向かっれ右側の道)が分岐しているので、これを登って尾根上に至り、尾根を北西に辿れば城のすぐ南まで楽に行くことができる。道から逸れて山林の中に入ると、すぐに平場群が現れる。全部で5段の曲輪群がひな壇状に築かれていて、3段目(3郭)の外に空堀が穿たれている。空堀の中央には土橋が架かり、虎口に向かって右側(城内からだと左側)に横矢掛りの張出しが設けられている。いわゆる左袖である。この張出した塁線に沿って土橋脇の空堀はL字型に曲がっており、江戸時代の軍学風に言うと三日月堀と言うことになるだろう。土橋から3郭に進入すると、出枡形の虎口郭が2郭の外に突出している。最上部が主郭で、主郭の後部に櫓台・土塁が築かれている。この土塁は、くの字型に曲がって北東の細尾根に続いており、尾根上には小郭群が築かれ、先端部は物見台となっている。主郭背後には帯曲輪が築かれ、北西に伸びる背後の尾根筋に小郭2段と小堀切が穿たれている。桜田要害は、城の形態をよく留めているが、いずれの曲輪もそれほど大きくなく、段差の切岸もあまり鋭さがない。こうした遺構の状況と、街道筋から丘陵背後の尾根に隠れるように存在することから推測して、街道監視などはせず、伏兵を置いたり、或いは一部の兵の逃げ込み城であったりと、明確な意図を持って存在を隠した城だった様に思われる。
3郭周囲の空堀→DSCN1608.JPG
DSCN1593.JPG←北西尾根の小堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.905834/140.141795/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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