坪山城(栃木県下野市) [古城めぐり(栃木)]
←城址付近の現況
坪山城は、1289年に下条民部太夫重慶が築城した城である。下条氏の事績については不明だが、勢力圏としては小山氏の領域になるので、小山氏の家臣であったものだろうか?1441年に結城合戦により結城城と共に落城し、廃城となったと伝えられる。
坪山城は、田川東岸の平地に築かれた平城で、現在は一面の水田地帯に変貌し、遺構は残っていない。ただ、城址の北東にある東権現神社(廃工場の東に隣接)の碑の裏面に坪山城の事が書かれている。碑文によれば、神社より西南方約300mの位置にあり、東権現神社は城の守護社であったと言う。神社の南西ということは、逆に言うと城の北東、即ち鬼門の方角に神社があったことになるので、城の鬼門除けとして神社が祀られたのだろう。昭和30年代の航空写真を見ると、神社の南西に方形に近い形状の水田の区画が見えるので、これが城跡と思われる。現在は田圃整理で完全に痕跡は失われている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.370978/139.903722/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
坪山城は、1289年に下条民部太夫重慶が築城した城である。下条氏の事績については不明だが、勢力圏としては小山氏の領域になるので、小山氏の家臣であったものだろうか?1441年に結城合戦により結城城と共に落城し、廃城となったと伝えられる。
坪山城は、田川東岸の平地に築かれた平城で、現在は一面の水田地帯に変貌し、遺構は残っていない。ただ、城址の北東にある東権現神社(廃工場の東に隣接)の碑の裏面に坪山城の事が書かれている。碑文によれば、神社より西南方約300mの位置にあり、東権現神社は城の守護社であったと言う。神社の南西ということは、逆に言うと城の北東、即ち鬼門の方角に神社があったことになるので、城の鬼門除けとして神社が祀られたのだろう。昭和30年代の航空写真を見ると、神社の南西に方形に近い形状の水田の区画が見えるので、これが城跡と思われる。現在は田圃整理で完全に痕跡は失われている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.370978/139.903722/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平城
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