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猿沢城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN6534.JPG←三ノ郭外周の横堀
 猿沢城は、柴山城と諏訪館の二つの郭群で構成された城である。現地標柱には猿沢城の名はなく、「柴山城(諏訪館)」と表記されている。二つの郭群には時代の変遷があるらしく、元は柏木館(鳥海城)主及川美濃之助頼家の子及川掃部信次が柴山城主であったが、1559年に及川一族が葛西太守に武力蜂起した及川騒動(柏木合戦)に加担して信次は改易され、気仙郡蛇ヶ崎に逃れた。その後は諏訪館に中津山三郎右衛門が居住したが、1590年の葛西氏改易で共に没落。同年に生起した葛西大崎一揆の際、伊達政宗の軍勢によって桃生郡深谷にて討死を遂げたと言う(須江山の惨劇)。

 猿沢城は、猿沢集落北方の丘陵上に築かれている。柴山城は上方の標高250m付近に、諏訪館はその南に張り出した標高215m付近の丘にあり、全体はS字型をした尾根上に展開している。柴山城と諏訪館の間の尾根には上水場(寒川配水池)があり、そこまで車で登ることができる。
 上水場の脇から山林に入って登ると、わずか20秒で柴山城の遺構に出くわす。段曲輪数段と堀切があり、その上に柴山城の二ノ郭がある。二ノ郭は北辺に土塁が築かれた細長い曲輪で、東の主郭との間は浅い堀切で区画されている。主郭にも北から東にかけてL字型の太い土塁が築かれ、その角部は隅櫓台であったらしい。主郭の東には三ノ郭があるが、削平が甘くダラダラと傾斜している。三ノ郭の外周には横堀が穿たれ、北側の横堀には、途中に竪堀状虎口が2ヶ所構築されている。また主郭・二ノ郭の南面には数段の帯曲輪が築かれている。特に二ノ郭では西と北まで帯曲輪1段が巡らされている。主郭の裏は北尾根が伸び、城の守り神として愛宕神社を祀った愛宕山に通じている。北尾根には明確な遺構は見られないが、虎口のようにも見える地形がある。
 一方、上水場からやや降ったところにある諏訪館は、車道から南西の山林に入った先にある。『岩手県中世城館跡分布調査報告書』には牧草地になっているとあるが、現在は放棄地で薮に覆われている。ここも全体が南東に向かって傾斜しており、北西隅は櫓台があったらしく高台となっている。曲輪の南から西にかけての外周には横堀が穿たれている。ここの横堀は、柴山城三ノ郭のものよりやや大きく、横矢掛かりの屈曲も見られるが、堀の外側の土塁がところどころ途切れている。
 猿沢城は、遺構はよく残っているが、全体に郭内の削平が甘く、そのため『日本城郭大系』では「造成作業が未完成の状態」とされてしまっている。横堀・堀切も規模があまり大きくはなく、あまり防御を固めた城とは感じられなかった。尚、標柱の説明文には井戸跡や家臣の墓があると書いてあったが、見つからなかった。
横堀に構築された竪堀状虎口→DSCN6516.JPG
DSCN6480.JPG←主郭の土塁
諏訪館外周の横堀→DSCN6619.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.048244/141.298438/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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