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構館(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN6815.JPG←横堀を貫通する竪堀
 構館は、月館とも言い、葛西氏の家臣及川氏の一族の居城である。館主は、柏木館(鳥海城)主及川美濃之助頼家の弟及川平三郎入道静閑(讃岐)であったが、1559年に及川一族が葛西太守に武力蜂起した及川騒動(柏木合戦)に加担して改易された。及川氏の後は、米谷平三郎が居住したと伝えられる。

 構館は、興田集落南側の比高50m程の丘陵上に築かれている。興田地区は及川氏本城の柏木館を始め、狭い地域に複数の城が築かれた城郭密集地であるが、その中でも構館は最も優れた縄張りを持っている。城域西側に堀合愛宕神社が鎮座しており、そこへの参道を使えば城へ行くのはたやすい。参道入口脇には有形文化財の「芭蕉翁句碑」があるので、良い目印になる。参道の脇にも腰曲輪群が見られる。神社の南側から山林に入ると、ここにも腰曲輪群がある。城は、南北に長い長円形の主郭を中心に、周囲に何段もの腰曲輪を廻らしている。主郭の北前面にも広い腰曲輪が構築されている。南には堀切を介して台形状の二ノ郭がある。主郭群と二ノ郭との間の堀切は、東側でクランクしながら北東下まで延々と伸びている。また二ノ郭は、東に横堀を穿ち、南の丘陵基部にも二重堀切を穿って分断し、東の横堀は背後の堀切に接続している。南の二重堀切は短い堀で接続され、西側に長く伸びている。この様に二ノ郭の前後の堀切は、いずれも山麓に向かって長く伸びており、『日本城郭大系』では堀底道として利用されたと推測している。この城で出色なのは、腰曲輪群を貫通して穿たれた竪堀で、東・北東・北北西・北西と4ヶ所に穿たれている。いずれも竪堀状の通路で枡形虎口を形成しており、主郭にも枡形虎口が築かれている。また北北西の竪堀は、斜面の横堀十字交差して落ちている。この構造は、宮城の臥牛楯と規模・構造が全く同じで、同じ築城主体の可能性が考えられる。
 以上が構館の構造で、近場の他の城とは築城技術が全く異なっている。柏木館の南方を押さえる要衝として、柏木合戦の際に防備を増強したのだろうか?一方、枡形虎口など伊達氏の城っぽい雰囲気が漂っており、歴史には残っていないが葛西大崎一揆の頃に伊達氏によって改修を受けた可能性もあるかもしれない。尚、城のすぐ南東脇まで重機による破壊の手が伸びており、これ以上の破壊を受けないようにしてもらいたい。
北東の竪堀→DSCN6768.JPG
DSCN6884.JPG←主郭北側の腰曲輪群
主郭群~二ノ郭間の堀切→DSCN6729.JPG
DSCN6923.JPG←長く伸びる二重堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.042878/141.365461/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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