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水尾城(富山県魚津市) [古城めぐり(富山)]

DSCN9770.JPG←主郭背後の堀切
 水尾城は、松倉城の支城群の一つである。『得田文書』によると、南北朝期の1346年7月に、北朝方の能登守護吉見頼隆の軍勢が、前越中守護普門(井上)俊清討伐のために水尾南山要害と水尾城を攻めたと記載されている。しかしこれ以後、水尾城は文献史料には登場せず、戦国期の歴史は不明であるが、戦国時代にも松倉城の支城として機能していたと推測されている。

 水尾城は、松倉城西方の標高303mの南北に長い峰に築かれている。城の脇まで林道が伸びており、車で近づくのは道が荒れていて困難だが、迷うことなく歩いていくことができる。堀切によって区画された5つの曲輪群から構成されている。仮に、北から順に北2郭・北1郭・主郭・南1郭・南2郭と呼称すると、北2郭が最も広く、北西斜面に何段もの腰曲輪群を連ねている。北東尾根には堀切が穿たれている。更に尾根の先には北端の堀切があるらしいが、時間がなく未確認である。北1郭は平坦な曲輪で、背後の堀切で主郭と分断されている。この堀切に沿って石積みが見られる。主郭は最も小さい曲輪で、後部に土塁を築き、その背後に堀切を穿っている。南1郭は緩斜面となっていて、削平の甘い曲輪である。南側に浅い堀切を穿っている。その南に南2郭があるが、斜面上に築かれた曲輪群で構成されている。南2郭まで来たところで猿軍団が出現したので、末端まで遺構を確認することができず早々に撤退した。城内は現在はほとんど整備されていないが、遺構がわからないような薮ではないので、遺構は比較的わかりやすい。ただ、かつて整備された堀切に架かる橋が朽ちて崩落してしまっている。水尾城は、石積みがあるものの、縄張りは古風なもので、南北朝時代の縄張りをほとんどそのまま受け継いでいると思われる。尚、主郭とした曲輪は、規模が小さく、実際に主郭だったのかどうかは確信が持てない。
堀切に残る石積み→DSCN9812.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.750654/137.427721/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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