武隈屋敷(富山県魚津市) [古城めぐり(富山)]
←外周の石垣
武隈屋敷は、小菅沼城とも呼ばれ、松倉城主椎名氏の家老と伝えられる武隈氏の居館である。金山谷から松倉城への途中に位置しているが、この小菅沼地区には他にも土塁で囲まれた館跡が存在しており、松倉城の時代に支城や城館群が多数存在していたと考えられている。
武隈屋敷は、小菅沼集落の西端部にある。外周を石垣で囲んだ居館で、東西に虎口があり、いずれも枡形虎口となっている。特に西側のものは土塁で明確に枡形が構築され、虎口両翼の塁線には石垣が組まれている。但し、近代まで武隈氏の屋敷として使われていたということなので、どこまで中世の遺構かは明確ではない。屋敷地内に残る建物脇にも石垣を伴った土塁があったりするので、余計に怪しい。しかし上野の彦部家屋敷が戦国時代の武家屋敷の面影を色濃く残していたように、この武隈屋敷も中世戦国期の形態を残しているのかもしれない。尚、すぐ近くに人の気配がある土地なのに、カモシカが郭内に出現したのには驚いた。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.767243/137.438021/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
武隈屋敷は、小菅沼城とも呼ばれ、松倉城主椎名氏の家老と伝えられる武隈氏の居館である。金山谷から松倉城への途中に位置しているが、この小菅沼地区には他にも土塁で囲まれた館跡が存在しており、松倉城の時代に支城や城館群が多数存在していたと考えられている。
武隈屋敷は、小菅沼集落の西端部にある。外周を石垣で囲んだ居館で、東西に虎口があり、いずれも枡形虎口となっている。特に西側のものは土塁で明確に枡形が構築され、虎口両翼の塁線には石垣が組まれている。但し、近代まで武隈氏の屋敷として使われていたということなので、どこまで中世の遺構かは明確ではない。屋敷地内に残る建物脇にも石垣を伴った土塁があったりするので、余計に怪しい。しかし上野の彦部家屋敷が戦国時代の武家屋敷の面影を色濃く残していたように、この武隈屋敷も中世戦国期の形態を残しているのかもしれない。尚、すぐ近くに人の気配がある土地なのに、カモシカが郭内に出現したのには驚いた。
西の枡形虎口→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.767243/137.438021/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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