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一乗寺城(富山県小矢部市) [古城めぐり(富山)]

DSCN0788.JPG←四ノ郭虎口前面の枡形
 一乗寺城は、加越国境城砦群の一である。城の史料上の初見は南北朝時代の1369年で、観応の擾乱以来室町幕府に敵対し続けた元越中守護桃井直常が、能登・加賀に侵攻した際、桃井方が立て籠もる「一乗之城」を幕府方の能登守護吉見氏頼の軍勢が9月17日に攻撃し、桃井勢を追い落としたことが見える(『得田文書』『得江文書』)。その後時代は下って戦国末期の1584年、越中を平定した佐々成政は豊臣秀吉に敵対し、秀吉方の前田利家と加越国境を挟んで対峙した。この時に加越国境城砦群が両陣営によって築かれ、佐々方は松根城荒山城などと共に一乗寺城を構築し、杉山小助を守将として置いたと言う。

 一乗寺城は、標高279mの枡山に築かれている。幸い舗装された車道が城の西側近くまで伸びており、簡単に訪城できる。加越を結ぶ田近道を押さえるように築かれている。山頂に主郭を置き、東の斜面に大手を防衛する腰曲輪群をひな壇状に築き、その中を大手道が多重枡形によって幾重にも屈曲しながら登っている。主郭の西には尾根に沿って二ノ郭・三ノ郭・四ノ郭が連郭式に配置されている。二ノ郭~三ノ郭間は片堀切を穿って導線を狭め、枡形虎口で二ノ郭に繋がっている。また三ノ郭~四ノ郭間も土橋を架けた堀切によって区画されている。四ノ郭は、西方からの接近が想定される敵勢を迎え撃つ最前面の曲輪であるため、土塁を築いた最も防備が厳重な曲輪で、南端と北西角に櫓台を築き、前面に当たる西側下方に大堀切を穿っている。また四ノ郭の北側虎口には前面に土塁で囲まれた方形の枡形を設けている。この枡形への進入路も竪堀や坂土橋で狭めつつ屈曲させている。この他、北側斜面に多数の腰曲輪群を築き、所々に竪堀状に小郭群を配置している。
 一乗寺城は、多重枡形を始めとする枡形虎口が多数構築され、巧妙な導入系の構築技術を見せている。加越国境城塞群では最も高度な縄張りであり、北条・武田・伊達といった先進的な築城技術を有した戦国大名の城と比べても、導入系の構築技術は群を抜く水準であり、織田勢力の築城技術の革新は認めざるを得ない。この技術革新がどこからもたらされたものなのか、考究していく必要があるだろう。
 尚、城内の主要部は薮払いされて整備されているが、北斜面の腰曲輪群は多くが深い笹薮に覆われてしまっており、この部分の遺構の確認は大変である。
大手の多重枡形虎口→DSCN0875.JPG
DSCN0823.JPG←二ノ郭の枡形虎口
四ノ郭前面の大堀切→DSCN0736.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.637734/136.804011/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


織田・豊臣城郭 の構造と展開 上巻 (戎光祥城郭叢書 第1巻)

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