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蓮沼城(富山県小矢部市) [古城めぐり(富山)]

DSCN1447.JPG←城址碑付近の現況
 蓮沼城は、礪波郡守護代となった遊佐氏の居城である。遊佐氏は南北朝期から畠山氏に仕えて重臣となった一族で、畠山氏が越中守護となると、室町中期に遊佐氏は礪波郡守護代となり、新川郡守護代椎名氏、射水・婦負郡守護代神保氏と共に、越中三守護代家が分立した。遊佐氏が越中の中世史に現れるのは1396年の遊佐河内入道(長護)からであるが、蓮沼城がいつ築城されたのかは不明である。蓮沼の名が現れるのは永享年間(1429~41年)頃からで、この頃の城主は遊佐加賀守であった。文明年間(1469~87年)には連歌師飯尾宗祇が越後に赴く途中、しばしば蓮沼城に立ち寄って、城主遊佐加賀守長滋の館で千句の連歌を興行した。宗祇が撰集した連歌集『新撰菟玖波集』には、遊佐加賀守の連歌が収められている。永正・大永年間(1504~28年)頃には、城主遊佐新右衛門慶親が埴生護国八幡宮に108段の石段を寄進している。遊佐氏のその後の歴史は明確ではないが、江戸時代の史料によれば、上杉謙信の攻撃によって開城し、退去したと伝えられている。或いは慶親が礪波郡木舟で討死したとも言われる。その後、松倉城を逐われた椎名康胤が一時蓮沼城に拠ったとも言われるが、明証はない。1585年には、越中を平定した富山城主佐々成政の家臣が蓮沼城を守っていたが、前田利家によって攻略されたと言う。

 蓮沼城は、渋江川西岸の平地に築かれている。微高地に築かれた平城であったらしいが、城跡は現在宅地や水田に変貌しており、明確な遺構は全く確認できない。『日本城郭大系』掲載の古い地籍図では堀跡の水田が記載されており、また2mぐらいの高台になっていたらしいが、渋江川の河川改修で削られてしまったとのことで、遺構は壊滅状態である。わずかに集落内に城址碑と解説版が立っているだけである。この地の重要な城であったのに、かなり悲しい現状である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.654967/136.857719/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平城
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