原市陣屋(埼玉県上尾市) [古城めぐり(埼玉)]
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原市陣屋は、徳川家康の家臣西尾隠岐守吉次・丹後守忠永父子が築いた陣屋である。吉次は、元々は三河国東条に生まれ、織田信長に仕えて1574年に美濃国で3千石を給された。1582年の本能寺の変の際には、家康を案内して堺におり、いわゆる「神君伊賀越」に同行した。翌年家康の家臣となり、小牧・長久手の戦いや小田原の役に従軍した。1590年に徳川氏が関東に移封となると、足立郡で5千石の地を給され、上尾下村・上村に陣屋を設けた。1602年、美濃で7千石を加増され、都合1万2千石を領する大名となった。吉次は、1606年に京都伏見において77歳で没し、その子忠永が跡を継いだ。1618年、忠永は常陸土浦城主を命ぜられてこの地を去るまで、28年間にわたる原市藩支配を行った。
原市陣屋は、現在の陣屋公民館付近にあったとされる。残念ながら周囲は市街化され、遺構は全く残っていない。尚、陣屋の東方500mの位置にある妙厳寺に、西尾隠岐守一族の墓所がある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.971816/139.610717/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
原市陣屋は、徳川家康の家臣西尾隠岐守吉次・丹後守忠永父子が築いた陣屋である。吉次は、元々は三河国東条に生まれ、織田信長に仕えて1574年に美濃国で3千石を給された。1582年の本能寺の変の際には、家康を案内して堺におり、いわゆる「神君伊賀越」に同行した。翌年家康の家臣となり、小牧・長久手の戦いや小田原の役に従軍した。1590年に徳川氏が関東に移封となると、足立郡で5千石の地を給され、上尾下村・上村に陣屋を設けた。1602年、美濃で7千石を加増され、都合1万2千石を領する大名となった。吉次は、1606年に京都伏見において77歳で没し、その子忠永が跡を継いだ。1618年、忠永は常陸土浦城主を命ぜられてこの地を去るまで、28年間にわたる原市藩支配を行った。
原市陣屋は、現在の陣屋公民館付近にあったとされる。残念ながら周囲は市街化され、遺構は全く残っていない。尚、陣屋の東方500mの位置にある妙厳寺に、西尾隠岐守一族の墓所がある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.971816/139.610717/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:陣屋
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