里見氏館(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]
←民家裏の土塁の残欠
里見氏館は、新田氏の一族であった里見氏の発祥の地と言われている。新田義重の子義俊が新田氏の所領である里見郷に分封されて里見氏を称した。この地は義俊の所領であったが、義俊がここに居住したかは不明で、その居館地は確認されていないと言う。ただ北西に隣接する光明寺には里見氏の供養塔が残り、里見氏に所縁の深い地であったことを物語っている。
里見氏館は、前述の通り光明寺に隣接した地にあり、現在は民家となっている。字名を堀之内と言い、西と北に土塁の残欠が見られる。また西側に水路があるが、これはかつての堀跡であるらしい。尚、ここから南方1.3kmには里見城があるが、これとの関係も不明である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.370529/138.908987/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
里見氏館は、新田氏の一族であった里見氏の発祥の地と言われている。新田義重の子義俊が新田氏の所領である里見郷に分封されて里見氏を称した。この地は義俊の所領であったが、義俊がここに居住したかは不明で、その居館地は確認されていないと言う。ただ北西に隣接する光明寺には里見氏の供養塔が残り、里見氏に所縁の深い地であったことを物語っている。
里見氏館は、前述の通り光明寺に隣接した地にあり、現在は民家となっている。字名を堀之内と言い、西と北に土塁の残欠が見られる。また西側に水路があるが、これはかつての堀跡であるらしい。尚、ここから南方1.3kmには里見城があるが、これとの関係も不明である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.370529/138.908987/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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