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御所楯(宮城県大和町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2223.JPG←4郭外側の横堀
 御所楯(御所館)は、大崎氏の庶流黒川氏の初期の居城である。黒川氏の事績は、鶴巣楯の項に記載する。

 御所楯は、比高50m程の馬蹄型の山稜に築かれている。西側外郭部を東北自動車道が貫通しており、一部破壊を受けているが、幸い城の主要部は無傷である。鶴巣楯と同様、多数の曲輪群から成る城で、『図説 中世城郭事典』所収の縄張図によると、主要な曲輪だけで23郭まで記載されている(この内、17~23郭は高速道路で消滅している)。南に開いた馬蹄形山稜の北の頂点に主郭を置き、そこから東尾根と西尾根に曲輪を直線的に連ねているのが基本構造である。2郭には石神神社が鎮座している。主要な曲輪間は基本的に切岸や土塁で区切られ、堀切の数は多くない。堀切は尾根の末端付近の曲輪部分に穿たれている。また馬蹄形に連なった主郭~4郭の外側には、切岸の下に延々と横堀が穿たれ、更に外側に腰曲輪が廻らされている。ここには上方の5郭の張り出した塁線上から横矢が掛けられている。土塁は尾根上の曲輪群の要所に築かれ、例えば主郭の背後や主郭の虎口などは土塁が明確で、16郭では後述する櫓台に繋がる大土塁となっている。西尾根の14郭へは堀切に湾曲した土橋が架かって連結されている。14,16郭には大型の隅櫓台が備わり、特に16郭のものは下段の15郭からだと高さ7m程もある。この他、東尾根の末端近くにある10郭の虎口土塁には石積みが見られ、鶴巣楯移城後の戦国期にも有力支城として存続した可能性が高いと考えられる。主要な曲輪の周りや先端には、多数の腰曲輪群も見られる。
 城へは石神神社への参道で行くことができ、横堀外の腰曲輪には山道が通じている。城内は一部藪が酷いが、ゴーグル着用などすれば歩けない程のレベルではない。御所楯は、城域は広いが鶴巣楯と比べると縄張りの技巧性は乏しく、戦国初期までの古い形態を残していると考えられる。

 尚、御所楯の西側曲輪群の南に谷戸を挟んで八谷館があり、位置・規模・構造から考えて、八谷館は御所楯の出城であったと考えるのが妥当であろう。
14郭の湾曲した土橋→IMG_2399.JPG
IMG_2445.JPG←16郭の大型の隅櫓台
12郭南東の堀切→IMG_2282.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.447312/140.915043/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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