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釣ノ尾城(宮城県石巻市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2593.JPG←主郭の天守台
 釣ノ尾城は、山内首藤氏の支城である。城主は、七尾城主首藤義通の弟山内左馬之介であったと伝えられる。山内首藤氏が葛西氏に滅ぼされると、山内氏は葛西氏に仕えたと言う。葛西大崎一揆の後、この地が仙台伊達藩領となり、更に天下の治世が徳川幕府のものになると、野望を捨てきれない伊達政宗は、幕府軍と戦って敗れた伊達藩の最後の決戦場として、この釣ノ尾城を想定していたとも伝わっている。

 釣ノ尾城は、北上川南岸の標高76mの八幡山に築かれている。北側斜面の中央に僅かな小道が付いており、そこを登っていくと前面の帯曲輪群に至る。この城は山頂の北側に広い二ノ郭を置き、背後に幅広の浅い堀切に幅広の土橋が架かって、南側に主郭が置かれている。二ノ郭の前面には前述の通り5~6段の帯曲輪群が築かれているが、斜面の形状が中央が内側に凹んだ形状になっているため、中央部は数段のみ、張り出した両翼は更に数段の帯曲輪が築かれた構造となっている。主郭は円形の平場で、中央には天守台が築かれ、部分的に石積みが見られる。主郭周囲と背後の尾根にも帯曲輪群が築かれ、その下方の南尾根には2条の小堀切が穿たれている。この城には、大きな大手道が作られており、二ノ郭背後の帯曲輪から北西の斜面に向かって降っている。大手道の下方には側方に竪堀を穿った防御構造がある。その下は、麓の神社裏に当たるが。斜面が削れており、大手道は消滅している。
 釣ノ尾城は、比較的小規模で簡素な縄張りの城であるが、普請はしっかりしている。特に広い大手道や石積みの天守台など、この規模の城には不釣り合いな、戦国末期から近世頃の新しい構造が見られる。政宗が最後の決戦場と想定していたとの伝承は本当だったのかもしれない。
天守台の石積み→IMG_2604.JPG
IMG_2645.JPG←主郭背後の尾根の曲輪群と堀切
大手道→IMG_2682.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.534680/141.388915/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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